思いもよらぬ歴史探訪の旅へと 【末広】
2018.07.27
青梅街道は1603年、江戸城の改築に必要な石灰を青梅の成木村から運搬する道路として開かれた。街道に継立場(つぎたてば)をつくるため、幕府の要請により谷戸(現 西東京市谷戸町)に住んでいた田無村の住人が移住し形成されたのが田無宿である。
水場がなく宿場の住人は毎日谷戸までの水くみを強いられたが、玉川上水からの分水が許可され1696年、田無用水が開削される。
用水は現在、暗渠となり、青梅街道を挟んで平行に並ぶ散策路「ふれあいの小道」「やすらぎの小道」として整備されている。

四角枠の拡大図をページ下方に掲載した
秩父道との追分の田丸屋(のちの田丸屋酒店)をはじめ、柳沢宿(現在の田無町1、2、3丁目の一部)には旅籠が並んだ。街道には毎月一と六の付く日に市が立ち、特に晦日市はにぎわった。宿場の名残りで、明治・大正期にも料理屋が多かったという。
総持寺・田無神社前交差点から駅入り口にかけて、当時からいまも残る商店としては、呉服「福澤屋」、神具仏具「かもじや」、荒物屋「かさや商店」、薬局「トラヤ」、うなぎ「坂平」、酒店「野崎屋」などがある。

青梅街道から登記所(現ASTAビルのあたり)に入る路地にある割烹「末広」。
この歴史のありそうな料理店でランチサービスをやっていることに気づいたのが春先。その後、何度か伺ったがいつも閉まっており、ようやく入ることができた。

青梅街道のこのあたりの町並みには歴史の古さを感じるものがあり、「末広」はその代表的存在と見なしていたが、伺った時点では漠然たる感覚のみで予備知識はなし。冒頭の記述はあとで調べたものである。

入り口が2つあり、通りに面したほうの暖簾をくぐる。こちらが食堂で、奥まった左の入り口は会席・宴席の座敷用と推測される。
そのように分かれているためか食堂は思ったより狭く、カウンター5席、6人掛けテーブル、小上がりに4人用座卓が2つという構成。
意外に混んでいて、運よく空いていた感じの小上がり席へ。
黒の150角タイルを敷き詰めたたたき、床の間風に床柱・落掛の位置に天然銘木を使った小上がりのつくりなど、風情のある店内。長年魚料理を続けてきた場所特有の、なんとも懐かしい匂いが染み付いている。

店内にランチメニューがない。
「表で見てきてください」と、すまなそうに客席係のおばさま。
「入る前にたまたま写真撮っといたので大丈夫(笑)」と、スマホ見ながら注文。
ランチメニューはすべて天ぷら(または焼き魚)+刺し身という組み合わせ。海鮮丼・天ぷら1080円と大えび天・刺身1180円を頼む。

暖簾と幟にあるように、こちらはうなぎをメインに出すようだ。西東京商工会の名簿では“うなぎ・天ぷら”カテゴリーである。店内メニューを見ると、うな重 上2570円、特3100円と案外リーズナブル。
カウンターの中が天ぷらの揚げ場で、何代目かわからないが意外に若い職人さんが持ち場にしている。刺し身やほかの料理は奥の厨房から。
店のスタッフはほかに、天ぷらの職人と同年代の女性、母親らしき女性、先の接客係のパート風女性。

海鮮丼の具は、マグロ、タイ、カンパチ、タコ、アマエビ、サーモンと、なかなか豪華。

セットの天ぷらは、エビ、アジ、なす、かぼちゃ、いんげん、ししとう、さつまいも。
からりと揚がっていて箸が止まらなくなる。

大えび天セットのネタは、上記とはエビの大きさが違うだけ。
ぷりぷりで香ばしく、久々の食べでのあるえび天。セットの刺し身の海鮮丼との違いは、タイとタコがない代わりに生シラスが付く。
どちらのセットも豆腐の味噌汁と3種類の香の物付き。

オール1000円超えという上級設定のランチで、給料日あとで奮発、のつもりだったが、食べ始めてすぐに「これはむしろオトク!」と。
駅前一等地のど真ん中にこのような空間が残されていることは驚きのひと言。

後日、ブログ記事を書くにあたって調べていて、ネット上で見つけたのが冒頭の地図。明治末期から大正初期にかけての町並みを再現したもので、「末広」の文字がある。
たまたま相方が田無の図書館に用事があるというので、一緒に行ってカウンターで訪ねてみた。「地域・行政資料室に詳しい者がおりますので」とのことで、2階へ。
地域・行政資料室では、年配の男性が作業机で調べ物をしており、職員は2人。手前の司書のおねえさんに用件を話してスマホを見せると、すぐに出展がわかったので驚いた。

明治末期から大正初期にかけての町並み。「末広」の表記がある(赤丸)
「いろいろ引用されているんですが、いちばん最初のものがこれになります」と出してくれたのがオレンジの装丁の『田無のむかし話』という本。
地図の部分をコピーできるか聞くと、1階にも置いてあって貸し出しもしているとのことで、1階に案内してもらう。
「ほかにこういうものもありますよ」と親切な司書さん、白い表紙の町並み変遷図の本を見せてくれる。
その2冊を借りようとしていると、司書さんが戻ってきた。
「その本(白い街並み変遷の本)を書かれたのがあちらの方で」と、コピー機の前の男性を示す。さっき2階で調べ物をしていた人だ。「お話ししてくださるとおっしゃってますので、よろしかったら」
その人、近辻喜一さんは開口一番、「借りるのもいいけど、お買いになったらどうです?」
『田無のむかし話』は300円で市庁舎で買えるとのこと。安いのでお手元に一冊どうぞ、と。
「こっち(白い本)のほうは売れないので書店から引き上げたので(笑)、進展いたしますよ」と、親切にもおっしゃってくださった。
偶然が重なり、思いもよらない末広がりな展開となったのであった。

参考資料:
近辻喜一、『わが町シリーズ① 青梅街道田無 町並み変遷図』(2015)
田無市立中央図書館編、『田無のむかし話 その3――明治末期から大正初期にかけての青梅街道の町並み』(1979)
追記:近辻喜一さんに早速『わが町シリーズ① 青梅街道田無 町並み変遷図』をお送りいただいた。
近辻さん、ありがとうございました。(2018.07.31)
[DATA]
末広
東京都西東京市田無町2-4-10
[Today's recommendation]

https://youtu.be/o9zpBrqvsfQ


青梅街道は1603年、江戸城の改築に必要な石灰を青梅の成木村から運搬する道路として開かれた。街道に継立場(つぎたてば)をつくるため、幕府の要請により谷戸(現 西東京市谷戸町)に住んでいた田無村の住人が移住し形成されたのが田無宿である。
水場がなく宿場の住人は毎日谷戸までの水くみを強いられたが、玉川上水からの分水が許可され1696年、田無用水が開削される。
用水は現在、暗渠となり、青梅街道を挟んで平行に並ぶ散策路「ふれあいの小道」「やすらぎの小道」として整備されている。

四角枠の拡大図をページ下方に掲載した
秩父道との追分の田丸屋(のちの田丸屋酒店)をはじめ、柳沢宿(現在の田無町1、2、3丁目の一部)には旅籠が並んだ。街道には毎月一と六の付く日に市が立ち、特に晦日市はにぎわった。宿場の名残りで、明治・大正期にも料理屋が多かったという。
総持寺・田無神社前交差点から駅入り口にかけて、当時からいまも残る商店としては、呉服「福澤屋」、神具仏具「かもじや」、荒物屋「かさや商店」、薬局「トラヤ」、うなぎ「坂平」、酒店「野崎屋」などがある。

青梅街道から登記所(現ASTAビルのあたり)に入る路地にある割烹「末広」。
この歴史のありそうな料理店でランチサービスをやっていることに気づいたのが春先。その後、何度か伺ったがいつも閉まっており、ようやく入ることができた。

青梅街道のこのあたりの町並みには歴史の古さを感じるものがあり、「末広」はその代表的存在と見なしていたが、伺った時点では漠然たる感覚のみで予備知識はなし。冒頭の記述はあとで調べたものである。

入り口が2つあり、通りに面したほうの暖簾をくぐる。こちらが食堂で、奥まった左の入り口は会席・宴席の座敷用と推測される。
そのように分かれているためか食堂は思ったより狭く、カウンター5席、6人掛けテーブル、小上がりに4人用座卓が2つという構成。
意外に混んでいて、運よく空いていた感じの小上がり席へ。
黒の150角タイルを敷き詰めたたたき、床の間風に床柱・落掛の位置に天然銘木を使った小上がりのつくりなど、風情のある店内。長年魚料理を続けてきた場所特有の、なんとも懐かしい匂いが染み付いている。

店内にランチメニューがない。
「表で見てきてください」と、すまなそうに客席係のおばさま。
「入る前にたまたま写真撮っといたので大丈夫(笑)」と、スマホ見ながら注文。
ランチメニューはすべて天ぷら(または焼き魚)+刺し身という組み合わせ。海鮮丼・天ぷら1080円と大えび天・刺身1180円を頼む。

暖簾と幟にあるように、こちらはうなぎをメインに出すようだ。西東京商工会の名簿では“うなぎ・天ぷら”カテゴリーである。店内メニューを見ると、うな重 上2570円、特3100円と案外リーズナブル。
カウンターの中が天ぷらの揚げ場で、何代目かわからないが意外に若い職人さんが持ち場にしている。刺し身やほかの料理は奥の厨房から。
店のスタッフはほかに、天ぷらの職人と同年代の女性、母親らしき女性、先の接客係のパート風女性。

海鮮丼の具は、マグロ、タイ、カンパチ、タコ、アマエビ、サーモンと、なかなか豪華。

セットの天ぷらは、エビ、アジ、なす、かぼちゃ、いんげん、ししとう、さつまいも。
からりと揚がっていて箸が止まらなくなる。

大えび天セットのネタは、上記とはエビの大きさが違うだけ。
ぷりぷりで香ばしく、久々の食べでのあるえび天。セットの刺し身の海鮮丼との違いは、タイとタコがない代わりに生シラスが付く。
どちらのセットも豆腐の味噌汁と3種類の香の物付き。

オール1000円超えという上級設定のランチで、給料日あとで奮発、のつもりだったが、食べ始めてすぐに「これはむしろオトク!」と。
駅前一等地のど真ん中にこのような空間が残されていることは驚きのひと言。

後日、ブログ記事を書くにあたって調べていて、ネット上で見つけたのが冒頭の地図。明治末期から大正初期にかけての町並みを再現したもので、「末広」の文字がある。
たまたま相方が田無の図書館に用事があるというので、一緒に行ってカウンターで訪ねてみた。「地域・行政資料室に詳しい者がおりますので」とのことで、2階へ。
地域・行政資料室では、年配の男性が作業机で調べ物をしており、職員は2人。手前の司書のおねえさんに用件を話してスマホを見せると、すぐに出展がわかったので驚いた。

明治末期から大正初期にかけての町並み。「末広」の表記がある(赤丸)
「いろいろ引用されているんですが、いちばん最初のものがこれになります」と出してくれたのがオレンジの装丁の『田無のむかし話』という本。
地図の部分をコピーできるか聞くと、1階にも置いてあって貸し出しもしているとのことで、1階に案内してもらう。
「ほかにこういうものもありますよ」と親切な司書さん、白い表紙の町並み変遷図の本を見せてくれる。
その2冊を借りようとしていると、司書さんが戻ってきた。
「その本(白い街並み変遷の本)を書かれたのがあちらの方で」と、コピー機の前の男性を示す。さっき2階で調べ物をしていた人だ。「お話ししてくださるとおっしゃってますので、よろしかったら」
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その人、近辻喜一さんは開口一番、「借りるのもいいけど、お買いになったらどうです?」
『田無のむかし話』は300円で市庁舎で買えるとのこと。安いのでお手元に一冊どうぞ、と。
「こっち(白い本)のほうは売れないので書店から引き上げたので(笑)、進展いたしますよ」と、親切にもおっしゃってくださった。
偶然が重なり、思いもよらない末広がりな展開となったのであった。

参考資料:
近辻喜一、『わが町シリーズ① 青梅街道田無 町並み変遷図』(2015)
田無市立中央図書館編、『田無のむかし話 その3――明治末期から大正初期にかけての青梅街道の町並み』(1979)
追記:近辻喜一さんに早速『わが町シリーズ① 青梅街道田無 町並み変遷図』をお送りいただいた。
近辻さん、ありがとうございました。(2018.07.31)
[DATA]
末広
東京都西東京市田無町2-4-10
[Today's recommendation]

https://youtu.be/o9zpBrqvsfQ

