東京で貴重な国宝のある寺院 【普済寺】
2023.04.05
R20日野橋五差路交差点から西にR16重複区間までの新奥多摩街道は自分的地図の空白地帯で、気になる案件がいくつかあるので下見に出かけてみた。
立川通りから新奥多摩街道に入るとすぐに下り坂で、モノレールをくぐり残堀川を渡る。
残堀川の多摩川への合流点に近く、対岸(左岸)は切り立った崖。
立川崖線である。

JR中央本線のガードの手前から見上げる崖線の景色が絵になる。
崖上には寺院だろうか、趣ある建物と高い木々、城の石垣を思わせる法面ブロック積み、崖下の川沿いには桜並木。
ちょっとした景勝地風である。

帰ってから地図で調べてみると、寺院の名前は「普済寺」。
さらに調べると、こちらはなんと国宝を所蔵する寺院なのであった。
東村山市民は“国宝”という言葉に敏感で、それは市内の正福寺地蔵堂が“都内唯一の国宝”と刷り込まれているから。
正確にいうと“都内唯一の国宝建造物”だが、2009年に旧東宮御所が国宝に指定され唯一の建造物ではなくなってしまい、いまは“都内唯一の国宝木造建造物”…
というのはおいといて、建造物に限らずとも多摩地区に国宝は少なく、武蔵御嶽神社の「円文螺鈿鏡鞍」および「赤絲威鎧」、深大寺の「釈迦如来倚像」、正福寺の「地蔵堂」、こちら普済寺の「石幢(せきどう)」と、4寺社所蔵の5件のみ。
とても貴重な物件であり、犬も歩けばナントカ… である。

江戸時代の地誌『江戸名所図会』にも普済寺の記載がある。
――玄武山普済禅寺 日野渡口より此方の岸頭を、右へ十町斗入て、芝崎村と云ふにあり。此所を立川と云ふ。昔の郷の名なり今は小名となれり。済家の禅林にして、相州鎌倉の建長寺に属せり。開山は真照大定禅寺物外可什和尚と号す。……

普済寺 境内に延文年間に制する所の六面の石塔を存せり
(斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第2, 有朋堂書店, 昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174144 (参照 2023-04-05))
さっそく翌日、普済寺に出かけてみた。





参道入り口の巨大石灯籠。
参道を進むと右に鐘楼、左に焔魔堂、正面に楼門。
楼門をくぐると太鼓橋。
その向こうに重厚かつ荘厳な趣のある本堂…。

文和年間(1352-1356年)、武蔵七党の一族で当時立川一帯を領有していた立川氏が鎌倉建長寺の高僧・物外可什禅師を招いて開山とし、居城の一隅に一族の菩提寺として創建されたのが普済寺とされる。
そしていよいよ国宝「六面石幢」、本堂の裏側にあるはずだが…

がーん ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
…というのはネタで、それは寺院ホームページで知ってたんだけど💦
せっかく行き当たった国宝だしそれも含めて記事にしたかったが、保存修理工事が来年3月までかかるというので国宝写真はWikipediaあたりから拝借しようかと検索してみると、近くの「立川市歴史民俗資料館」に石幢の原寸大レプリカが展示されているという情報が。
さらに翌日、立川市歴史民俗資料館へ。

六面石幢レプリカは展示室の一角にドーンとそびえていた。
せいぜい腰位置くらいの大きさを想像していたが、大人の背丈ほどもある。
かなり驚いたので職員さんに聞いたところ、厳密に原寸大ということではないが、だいたい同じくらいの大きさとのこと。
立川市教育委員会HPによれば、高さ166cmほど。

六面石幢は、阿形と吽形の仁王像、持国・増長・広目・多聞の四天王像を刻んだ緑泥片岩(秩父青石)の板石を六角の柱状に組み合わせ、六角形の笠石と台座で固定した石幢である。
👇のように、立川市教育委員会と普済寺で四天王の説明が違っている。
そこに『江戸名所図会』を並べてみると、さらに混迷の度を増す(笑)。
資料館の展示プレート:増長 / 広目 / 多聞 / 持国 / 吽金剛 / 阿金剛
普済寺ホームページ: 増長 / 多聞 / 広目 / 持国 / 仁王吽 / 仁王阿

普済寺境内六角古碑
(斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第2, 有朋堂書店, 昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174144 (参照 2023-04-05))
1954年にコンクリート製の覆屋が造成され、中尊寺金色堂のごとく手厚い保護のもとにあったが、新収蔵施設建設に伴う保存修理のため現在、拝観停止。

普済寺は多摩川北岸の要衝の守護。
崖の上からの眺めは、昔はさぞ絶景であったことだろう。

[DATA]
普済寺
東京都立川市柴崎町4-20-46
https://www.fusaiji.or.jp/
[Today's recommendation]

https://youtu.be/_AFU7qDitTc




次号予告
R20日野橋五差路交差点から西にR16重複区間までの新奥多摩街道は自分的地図の空白地帯で、気になる案件がいくつかあるので下見に出かけてみた。
立川通りから新奥多摩街道に入るとすぐに下り坂で、モノレールをくぐり残堀川を渡る。
残堀川の多摩川への合流点に近く、対岸(左岸)は切り立った崖。
立川崖線である。

JR中央本線のガードの手前から見上げる崖線の景色が絵になる。
崖上には寺院だろうか、趣ある建物と高い木々、城の石垣を思わせる法面ブロック積み、崖下の川沿いには桜並木。
ちょっとした景勝地風である。

帰ってから地図で調べてみると、寺院の名前は「普済寺」。
さらに調べると、こちらはなんと国宝を所蔵する寺院なのであった。
東村山市民は“国宝”という言葉に敏感で、それは市内の正福寺地蔵堂が“都内唯一の国宝”と刷り込まれているから。
正確にいうと“都内唯一の国宝建造物”だが、2009年に旧東宮御所が国宝に指定され唯一の建造物ではなくなってしまい、いまは“都内唯一の国宝木造建造物”…
というのはおいといて、建造物に限らずとも多摩地区に国宝は少なく、武蔵御嶽神社の「円文螺鈿鏡鞍」および「赤絲威鎧」、深大寺の「釈迦如来倚像」、正福寺の「地蔵堂」、こちら普済寺の「石幢(せきどう)」と、4寺社所蔵の5件のみ。
とても貴重な物件であり、犬も歩けばナントカ… である。

江戸時代の地誌『江戸名所図会』にも普済寺の記載がある。
――玄武山普済禅寺 日野渡口より此方の岸頭を、右へ十町斗入て、芝崎村と云ふにあり。此所を立川と云ふ。昔の郷の名なり今は小名となれり。済家の禅林にして、相州鎌倉の建長寺に属せり。開山は真照大定禅寺物外可什和尚と号す。……

普済寺 境内に延文年間に制する所の六面の石塔を存せり
(斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第2, 有朋堂書店, 昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174144 (参照 2023-04-05))
さっそく翌日、普済寺に出かけてみた。





参道入り口の巨大石灯籠。
参道を進むと右に鐘楼、左に焔魔堂、正面に楼門。
楼門をくぐると太鼓橋。
その向こうに重厚かつ荘厳な趣のある本堂…。

文和年間(1352-1356年)、武蔵七党の一族で当時立川一帯を領有していた立川氏が鎌倉建長寺の高僧・物外可什禅師を招いて開山とし、居城の一隅に一族の菩提寺として創建されたのが普済寺とされる。
そしていよいよ国宝「六面石幢」、本堂の裏側にあるはずだが…

がーん ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
…というのはネタで、それは寺院ホームページで知ってたんだけど💦
せっかく行き当たった国宝だしそれも含めて記事にしたかったが、保存修理工事が来年3月までかかるというので国宝写真はWikipediaあたりから拝借しようかと検索してみると、近くの「立川市歴史民俗資料館」に石幢の原寸大レプリカが展示されているという情報が。
さらに翌日、立川市歴史民俗資料館へ。

六面石幢レプリカは展示室の一角にドーンとそびえていた。
せいぜい腰位置くらいの大きさを想像していたが、大人の背丈ほどもある。
かなり驚いたので職員さんに聞いたところ、厳密に原寸大ということではないが、だいたい同じくらいの大きさとのこと。
立川市教育委員会HPによれば、高さ166cmほど。

六面石幢は、阿形と吽形の仁王像、持国・増長・広目・多聞の四天王像を刻んだ緑泥片岩(秩父青石)の板石を六角の柱状に組み合わせ、六角形の笠石と台座で固定した石幢である。
👇のように、立川市教育委員会と普済寺で四天王の説明が違っている。
そこに『江戸名所図会』を並べてみると、さらに混迷の度を増す(笑)。
![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
普済寺ホームページ: 増長 / 多聞 / 広目 / 持国 / 仁王吽 / 仁王阿

普済寺境内六角古碑
(斎藤幸雄 [等著] ほか『江戸名所図会』第2, 有朋堂書店, 昭2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1174144 (参照 2023-04-05))
1954年にコンクリート製の覆屋が造成され、中尊寺金色堂のごとく手厚い保護のもとにあったが、新収蔵施設建設に伴う保存修理のため現在、拝観停止。

普済寺は多摩川北岸の要衝の守護。
崖の上からの眺めは、昔はさぞ絶景であったことだろう。

[DATA]
普済寺
東京都立川市柴崎町4-20-46

[Today's recommendation]

https://youtu.be/_AFU7qDitTc




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