芸能をつかさどる 【花園神社】
2023.02.17
庶民観光の起源は“おかげ参り”とされ、かつて日本の観光の中心は寺社仏閣だった。
かつて栄えていたものがいまや廃れつつあるという意味で、寺社観光は昭和食堂に通じるものがあるかも…。
このブログで寺社を取り上げる理由は、だいたいそんなところだ。
やってる本人も最近気づいたんだが σ( ̄、 ̄=) ンー…
前記事に続く新宿編で、新宿で神社といえば「花園神社」。
神社初詣参拝者数で東京都10位前後という人気スポット。
特に毎年11月に開かれる「大酉祭」(酉の市)で知られる。




――新宿の街の中心にあり、江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、新宿総鎮守・街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。(「花園神社」Wikipediaより、最終更新2023年3月21日01:15)

内藤新宿とは甲州街道の宿場で、日本橋から数えて最初の宿。
――内藤新宿は宿場町として賑わうとともに、岡場所(官許の遊里以外で私娼のいた場所)としても知られるようになります。(中略)安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです。(神社HPより)
場所柄、このように芸能との結び付きが強く、唐十郎の“紅テント興行”は有名。


実は個人的にも花園神社とは少しご縁があり、某雑誌編集部にいたころ、とあるバンドの七夕ライヴイベントを企画したことがある。
そういうノウハウがなかったのでイベント運営は共催を持ちかけた在京某ラジオ局にお任せしたのだが、“そのバンドで、花園神社で”と具体的に立案したのは、何を隠そうこのワタクシである。
それは新宿の七夕の風物詩とも呼べるハマり企画で、以後、恒例行事として長く続けられたのであった。
知らず知らず新宿の街の文化の一翼を担っていた… のかもしれない(笑)。



今回、ちょっと調べる中で「芸能浅間神社」なる境内摂社の存在を知った。
――敷地内には芸能人の奉納者の名前が多く並んでおり、芸能人との関わりが深い。八代亜紀が1981年(昭和56年)に奉納している社号標の他、敷地内には、藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』の歌碑が建立されている。(「芸能浅間神社」Wikipediaより、最終更新2022年4月9日06:21)
まさに芸事の神様なのであった。
芸能浅間神社は存在を知らなかったので写真を撮っておらず、次に新宿に行ったときに撮ってこの記事に追加しようかと考えている。
ところで、新宿で“花園”といえば、もう一つ…
(つづく)

次号予告
[DATA]
花園神社
東京都新宿区新宿5-17-3
http://hanazono-jinja.or.jp/
[Today's recommendation]

https://youtu.be/B5uPhrH36rY


庶民観光の起源は“おかげ参り”とされ、かつて日本の観光の中心は寺社仏閣だった。
かつて栄えていたものがいまや廃れつつあるという意味で、寺社観光は昭和食堂に通じるものがあるかも…。
このブログで寺社を取り上げる理由は、だいたいそんなところだ。
やってる本人も最近気づいたんだが σ( ̄、 ̄=) ンー…
前記事に続く新宿編で、新宿で神社といえば「花園神社」。
神社初詣参拝者数で東京都10位前後という人気スポット。
特に毎年11月に開かれる「大酉祭」(酉の市)で知られる。




――新宿の街の中心にあり、江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、新宿総鎮守・街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。(「花園神社」Wikipediaより、最終更新2023年3月21日01:15)

内藤新宿とは甲州街道の宿場で、日本橋から数えて最初の宿。
――内藤新宿は宿場町として賑わうとともに、岡場所(官許の遊里以外で私娼のいた場所)としても知られるようになります。(中略)安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです。(神社HPより)
場所柄、このように芸能との結び付きが強く、唐十郎の“紅テント興行”は有名。


実は個人的にも花園神社とは少しご縁があり、某雑誌編集部にいたころ、とあるバンドの七夕ライヴイベントを企画したことがある。
そういうノウハウがなかったのでイベント運営は共催を持ちかけた在京某ラジオ局にお任せしたのだが、“そのバンドで、花園神社で”と具体的に立案したのは、何を隠そうこのワタクシである。
それは新宿の七夕の風物詩とも呼べるハマり企画で、以後、恒例行事として長く続けられたのであった。
知らず知らず新宿の街の文化の一翼を担っていた… のかもしれない(笑)。



今回、ちょっと調べる中で「芸能浅間神社」なる境内摂社の存在を知った。
――敷地内には芸能人の奉納者の名前が多く並んでおり、芸能人との関わりが深い。八代亜紀が1981年(昭和56年)に奉納している社号標の他、敷地内には、藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』の歌碑が建立されている。(「芸能浅間神社」Wikipediaより、最終更新2022年4月9日06:21)
まさに芸事の神様なのであった。
芸能浅間神社は存在を知らなかったので写真を撮っておらず、次に新宿に行ったときに撮ってこの記事に追加しようかと考えている。
ところで、新宿で“花園”といえば、もう一つ…
(つづく)

次号予告
[DATA]
花園神社
東京都新宿区新宿5-17-3

[Today's recommendation]

https://youtu.be/B5uPhrH36rY

