観光を考える 【十二社熊野神社】
2022.10.27
最近、神社の記事が多いため、信仰心篤い人間などと誤解されるのも具合が悪いと思っていたところ、新宿からの帰りにたまたま「十二社熊野神社」横を通ったので、お参りしたうえで説明の記事を1本上げておこうと考えた。

5月に「府中市郷土の森博物館」で見た「多摩の観光」という企画展では、東京近郊の景勝地を描いた江戸~昭和期の画帳や観光ポスターなどが多数展示されていた。
その中に「大正末期の京王線沿線案内」というものがあり、沿線の観光スポットが紹介されているが、その多くが寺社である。
高安寺、国分寺古跡、大國魂神社、(府中)八幡神社、布田(布多)天神、深大寺……
庶民観光の起源は“おかげ参り”ともいわれるが、近代に至るまで日本の観光の中心が寺社仏閣だったことをこのポスターは伝えている。
そういうものに興味があり、要するにシンコーよりカンコーというのが、僕のスタンス。

上記“京王線沿線案内”のいちばん右に「十二双」とある。
「十二社熊野神社」のことで、その時代は十二双や十二叢などと表記されていたらしい。

――十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。(神社HPより)
新宿にそのような古社のあることを僕は知らなかった。
境内の説明看板には“江戸時代以来、西郊の景勝地として賑わった十二社には、かつては大小2つの池と、いくつかの滝がありました”と書いてある。
まさに観光地だったわけだ。

大滝は1892(明治25)年ごろ、淀橋浄水場の工事に伴い埋め立てられたとある。
もったいない… と思うのである。
いま新宿にそんなものがあったらどれほど人を呼べることか。

このものが栄えていた時代に思いをはせるという意味で、寺社観光は昭和食堂にも通じる。
生物の絶滅スピードは年々加速しいまでは1日100種ともいわれているが、日本の観光資源も同じような絶滅危惧種なのかもしれないなぁ… と。

[DATA]
十二社熊野神社
東京都新宿区西新宿2-11-2
https://12so-kumanojinja.jp/
https://www.instagram.com/junisou_kumanojinjya/
[Today's recommendation]



https://youtu.be/QuakVuFQEds
最近、神社の記事が多いため、信仰心篤い人間などと誤解されるのも具合が悪いと思っていたところ、新宿からの帰りにたまたま「十二社熊野神社」横を通ったので、お参りしたうえで説明の記事を1本上げておこうと考えた。

5月に「府中市郷土の森博物館」で見た「多摩の観光」という企画展では、東京近郊の景勝地を描いた江戸~昭和期の画帳や観光ポスターなどが多数展示されていた。
その中に「大正末期の京王線沿線案内」というものがあり、沿線の観光スポットが紹介されているが、その多くが寺社である。
高安寺、国分寺古跡、大國魂神社、(府中)八幡神社、布田(布多)天神、深大寺……
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庶民観光の起源は“おかげ参り”ともいわれるが、近代に至るまで日本の観光の中心が寺社仏閣だったことをこのポスターは伝えている。
そういうものに興味があり、要するにシンコーよりカンコーというのが、僕のスタンス。

上記“京王線沿線案内”のいちばん右に「十二双」とある。
「十二社熊野神社」のことで、その時代は十二双や十二叢などと表記されていたらしい。

――十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。(神社HPより)
新宿にそのような古社のあることを僕は知らなかった。
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境内の説明看板には“江戸時代以来、西郊の景勝地として賑わった十二社には、かつては大小2つの池と、いくつかの滝がありました”と書いてある。
まさに観光地だったわけだ。

大滝は1892(明治25)年ごろ、淀橋浄水場の工事に伴い埋め立てられたとある。
もったいない… と思うのである。
いま新宿にそんなものがあったらどれほど人を呼べることか。

このものが栄えていた時代に思いをはせるという意味で、寺社観光は昭和食堂にも通じる。
生物の絶滅スピードは年々加速しいまでは1日100種ともいわれているが、日本の観光資源も同じような絶滅危惧種なのかもしれないなぁ… と。

[DATA]
十二社熊野神社
東京都新宿区西新宿2-11-2


[Today's recommendation]



https://youtu.be/QuakVuFQEds