ごく私的牛タン話 【味の牛たん 喜助 JR仙台駅店】
2022.06.04
父親が亡くなって服喪7日SNSの更新等チャラついた行動を控えるつもりでいたが、葬儀に続いて初七日ばかりか四十九日、百か日まで繰り上げ法要を行い、これで忌明けというわけでもないが、ともかく荼毘から本葬、納骨まで一日で済ませられてホッとしたのと前日からまともな食事をしていなかったのとで、帰りの乗換駅・仙台で腰を落ち着けて早めの夕食をとることにしたという話。
仙台といえば牛タン。
父親の好物でもあり、供養の食事にはうってつけとも思える。
余裕を見て2時間後の新幹線チケットを買ったうえで、駅構内の“牛たん通り”へ。
通りの6店舗をざっと見て回り、いちばんよさそうな(落ち着けそうな)「味の牛たん 喜助」に決める。
あとで調べると仙台牛タンを代表する老舗であった。
僕の生家は街の会社や学校に通えないほどの僻地で、叔父(父の義兄)の経営する会社の専務だった父は叔父宅に住み込みの単身赴任状態が長く、僻地ゆえの不便を強いられていた。
中学生のころ街へ遊びに行った折など、父によく牛タン屋に連れていってもらった。
半世紀近くも前のこと。

「喜助」の創業は1975年。
自分の中のいちばん古い牛タンの記憶と、年代がちょうど一致する。

注文は、定番の牛たん炭火焼定食の6枚12切を4人前。
飲み物は、娘たちは地ビール(伊達政宗麦酒)、僕らは生ビール(サッポロ黒)。
12枚切は迫力満点。
この感覚が大事で、牛タン焼きは父に促されるままに際限なく食べ続けるものだった子どものころが思い出される。
仙台牛タンは1948年、焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎氏(故人)が試行錯誤の末牛タン焼きの専門店を開業したことが始まりで、それを“仙台名物”として全国に広めたのが「喜助」とされる。
店名の似たこの2店の関係についてはほとんど情報がなく、ようやく見つかったのがこちらの記事。
「太助」の牛たん定食を食べて感動した先代会長が脱サラし「太助」の協力のもと“助”の字をもらって創業したのが「喜助」とある。
記事中、次のような記述がある。
――仙台で「助」が付く牛たん専門店が複数見られるのは、すべて「太助」さんから技術を学んだお店だから。
実際、子どものころよく行ったお店の名前は「福助」。
「太助」直系の牛タン屋は東京にもあって、30年近く前に某印刷会社社長に連れていってもらった水道橋「太助」店主に田舎のその「福助」の話をすると、実によく事情に通じていて、暖簾の絆の強さに驚かされたものだ。
あるいは「喜助」と「福助」の間にも何らかの関係があったかも… と、ふと思った。
[DATA]
味の牛たん 喜助 JR仙台駅店
宮城県仙台市青葉区中央1-1-1 仙台駅3階牛たん通り
https://www.kisuke.co.jp/
[Today's recommendation]



https://youtu.be/4iF4Rn2b4T8

蔵王山
吾妻山
あれが阿多多羅山、あの光るのが… 田んぼかな
那須岳
以上、東北新幹線の車窓から、那須火山帯の山々の暮れゆく表情。
父親が亡くなって服喪7日SNSの更新等チャラついた行動を控えるつもりでいたが、葬儀に続いて初七日ばかりか四十九日、百か日まで繰り上げ法要を行い、これで忌明けというわけでもないが、ともかく荼毘から本葬、納骨まで一日で済ませられてホッとしたのと前日からまともな食事をしていなかったのとで、帰りの乗換駅・仙台で腰を落ち着けて早めの夕食をとることにしたという話。
![]() | ![]() |
仙台といえば牛タン。
父親の好物でもあり、供養の食事にはうってつけとも思える。
余裕を見て2時間後の新幹線チケットを買ったうえで、駅構内の“牛たん通り”へ。
![]() | ![]() |
通りの6店舗をざっと見て回り、いちばんよさそうな(落ち着けそうな)「味の牛たん 喜助」に決める。
あとで調べると仙台牛タンを代表する老舗であった。
![]() | ![]() |
僕の生家は街の会社や学校に通えないほどの僻地で、叔父(父の義兄)の経営する会社の専務だった父は叔父宅に住み込みの単身赴任状態が長く、僻地ゆえの不便を強いられていた。
中学生のころ街へ遊びに行った折など、父によく牛タン屋に連れていってもらった。
半世紀近くも前のこと。

「喜助」の創業は1975年。
自分の中のいちばん古い牛タンの記憶と、年代がちょうど一致する。

注文は、定番の牛たん炭火焼定食の6枚12切を4人前。
飲み物は、娘たちは地ビール(伊達政宗麦酒)、僕らは生ビール(サッポロ黒)。
![]() | ![]() |
12枚切は迫力満点。
この感覚が大事で、牛タン焼きは父に促されるままに際限なく食べ続けるものだった子どものころが思い出される。
![]() | ![]() |
仙台牛タンは1948年、焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎氏(故人)が試行錯誤の末牛タン焼きの専門店を開業したことが始まりで、それを“仙台名物”として全国に広めたのが「喜助」とされる。
![]() | ![]() |
店名の似たこの2店の関係についてはほとんど情報がなく、ようやく見つかったのがこちらの記事。
「太助」の牛たん定食を食べて感動した先代会長が脱サラし「太助」の協力のもと“助”の字をもらって創業したのが「喜助」とある。
![]() | ![]() |
記事中、次のような記述がある。
――仙台で「助」が付く牛たん専門店が複数見られるのは、すべて「太助」さんから技術を学んだお店だから。
![]() | ![]() |
実際、子どものころよく行ったお店の名前は「福助」。
「太助」直系の牛タン屋は東京にもあって、30年近く前に某印刷会社社長に連れていってもらった水道橋「太助」店主に田舎のその「福助」の話をすると、実によく事情に通じていて、暖簾の絆の強さに驚かされたものだ。
![]() | ![]() |
あるいは「喜助」と「福助」の間にも何らかの関係があったかも… と、ふと思った。
![]() | ![]() |
[DATA]
味の牛たん 喜助 JR仙台駅店
宮城県仙台市青葉区中央1-1-1 仙台駅3階牛たん通り

[Today's recommendation]



https://youtu.be/4iF4Rn2b4T8

![]() | ![]() | ![]() |
![]() | ![]() | ![]() |
![]() | ![]() | ![]() |
![]() | ![]() | ![]() |
以上、東北新幹線の車窓から、那須火山帯の山々の暮れゆく表情。