洗練度を増す? 和風だしラーメン 【 一ツ橋 大勝軒】
2018.09.12
西武多摩湖線一橋学園駅近くの「大勝軒」は、この地域に移り住んで真っ先に通い始めたラーメン屋の一つ。
立川市中央図書館で蔵書整理につき何冊かもらってきた中に、古い多摩地区のラーメンガイド本があった。
そこに掲載されていたラーメン屋の一つが「一ツ橋 大勝軒」。
椎名誠のエッセイにしばしば登場する店と紹介されていた。

当時は市役所通りを現在地より50mほど北、いまでいえばインドカレー「ナマステ・ネパール」のあたりにあった。
現店舗に移転後、引退宣言→撤回騒動(2009年)を経て後継者を得て、初代店主はあらためて無事引退(2014年)、2代目が引き継いで現在に至る(前報参照)。

一ツ橋の大勝軒といえば、煮干し。お店の昔からの表現は“和風だしラーメン”。
先代のころは店に染み付いた強烈なにおいの印象もあって、好き嫌いのはっきり分かれるラーメンだった。

もう一つ、麺のゆで加減。入ったことはないがこの系統のおおもと「永福町大勝軒」でも取り沙汰される、麺やわい案件。
この店の移転前、並びの学園西町交番の向かいあたりに本屋があって、そこで時間をつぶしつつ11時半に大勝軒に暖簾がかかるのを待つのが常だった。開店一番に入れば、少しは麺もシャキッとしてるんじゃないかと(笑)。いまのように「麺かため」とコールするシステムが世の中になかったから。

このように、僕の中で「一ツ橋 大勝軒」といえば御し難い暴れ馬のごときラーメンだったが、去年、代替わりして初めて入って、その印象はだいぶ変わった。
ひと言でいえば洗練された。
食べやすくなったのは間違いないが、一方で荒々しい魅力は薄れたのかも…。


“新生”大勝軒に2度目の来店。注文はラーメン800円。
入った瞬間の強い煮干しのにおいは相変わらず。個人的には郷里の中華屋のさば節のラーメンを思い出させる追憶の匂い。
カウンターの僕の座った位置からはラーメン製作工程がよく見え、どんぶりにスープを注ぐとき、湯あたりした煮干しが濾し網にキャッチされたりしている。
スープがなみなみに張られた大きなラーメンどんぶりの載ったトレーをカウンター越しに渡される。
ぶちまけないか、緊張の瞬間である。
この量と、スープ表面を覆う熱々の油膜も、永福町系大勝軒の特徴。

感想としては、去年よりさらに食べやすくなった。
スープの風味は強すぎず、麺にはしっかりコシがあり、量は多すぎず(量に関しては、もちろん主観)。先代のころよりはるかにグレードアップしたチャーシューは、そのままに。
ぱっと見、いかついが、その実ていねいで優しい2代目のソフィスティケートされた接客にも通じると言ったら、こじつけか。

もともと、なにかと要求点を感じつつも通っていたのは、単純に煮干しだしのスープが好きだったから。誰もが食べやすく、という方向性、僕は悪くないんじゃないかと思う。
椎名誠さんがどう感じるか、興味深いところではある。
――この店にはじめてきた客が、
「おう、おやじラーメンたのむ。大盛りでな!」
なんて必要以上にエバリながら注文し、意味なく「チッ」などと舌打ちしつつ店の中にある「ゴルゴ13」などをみけんに二、三本のタテジワをつくってパラパラやっていたりするのだが、間もなくこのチョモランマふうの大盛りラーメンが眼の前にドオーン! と出されると
「あ、あの、ちょっとコレ、えーと……」
などと言いつつかなりローバイしてしまうのである。ザマミロなのである。
(― 闘魂の大盛りラーメン「大勝軒」のおやじ 小野塚富雄 ―、『いま この人が好きだ!』、椎名誠、新潮社、1983)

[DATA]
[DATA]
一ツ橋 大勝軒
東京都小平市学園西町1-20₋2
[Today's recommendation]

https://www.youtube.com/watch?v=RXxnMP3hsVk


西武多摩湖線一橋学園駅近くの「大勝軒」は、この地域に移り住んで真っ先に通い始めたラーメン屋の一つ。
立川市中央図書館で蔵書整理につき何冊かもらってきた中に、古い多摩地区のラーメンガイド本があった。
そこに掲載されていたラーメン屋の一つが「一ツ橋 大勝軒」。
椎名誠のエッセイにしばしば登場する店と紹介されていた。

当時は市役所通りを現在地より50mほど北、いまでいえばインドカレー「ナマステ・ネパール」のあたりにあった。
現店舗に移転後、引退宣言→撤回騒動(2009年)を経て後継者を得て、初代店主はあらためて無事引退(2014年)、2代目が引き継いで現在に至る(前報参照)。

一ツ橋の大勝軒といえば、煮干し。お店の昔からの表現は“和風だしラーメン”。
先代のころは店に染み付いた強烈なにおいの印象もあって、好き嫌いのはっきり分かれるラーメンだった。

もう一つ、麺のゆで加減。入ったことはないがこの系統のおおもと「永福町大勝軒」でも取り沙汰される、麺やわい案件。
この店の移転前、並びの学園西町交番の向かいあたりに本屋があって、そこで時間をつぶしつつ11時半に大勝軒に暖簾がかかるのを待つのが常だった。開店一番に入れば、少しは麺もシャキッとしてるんじゃないかと(笑)。いまのように「麺かため」とコールするシステムが世の中になかったから。

このように、僕の中で「一ツ橋 大勝軒」といえば御し難い暴れ馬のごときラーメンだったが、去年、代替わりして初めて入って、その印象はだいぶ変わった。
ひと言でいえば洗練された。
食べやすくなったのは間違いないが、一方で荒々しい魅力は薄れたのかも…。


“新生”大勝軒に2度目の来店。注文はラーメン800円。
入った瞬間の強い煮干しのにおいは相変わらず。個人的には郷里の中華屋のさば節のラーメンを思い出させる追憶の匂い。
カウンターの僕の座った位置からはラーメン製作工程がよく見え、どんぶりにスープを注ぐとき、湯あたりした煮干しが濾し網にキャッチされたりしている。
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スープがなみなみに張られた大きなラーメンどんぶりの載ったトレーをカウンター越しに渡される。
ぶちまけないか、緊張の瞬間である。
この量と、スープ表面を覆う熱々の油膜も、永福町系大勝軒の特徴。

感想としては、去年よりさらに食べやすくなった。
スープの風味は強すぎず、麺にはしっかりコシがあり、量は多すぎず(量に関しては、もちろん主観)。先代のころよりはるかにグレードアップしたチャーシューは、そのままに。
ぱっと見、いかついが、その実ていねいで優しい2代目のソフィスティケートされた接客にも通じると言ったら、こじつけか。

もともと、なにかと要求点を感じつつも通っていたのは、単純に煮干しだしのスープが好きだったから。誰もが食べやすく、という方向性、僕は悪くないんじゃないかと思う。
椎名誠さんがどう感じるか、興味深いところではある。
――この店にはじめてきた客が、
「おう、おやじラーメンたのむ。大盛りでな!」
なんて必要以上にエバリながら注文し、意味なく「チッ」などと舌打ちしつつ店の中にある「ゴルゴ13」などをみけんに二、三本のタテジワをつくってパラパラやっていたりするのだが、間もなくこのチョモランマふうの大盛りラーメンが眼の前にドオーン! と出されると
「あ、あの、ちょっとコレ、えーと……」
などと言いつつかなりローバイしてしまうのである。ザマミロなのである。
(― 闘魂の大盛りラーメン「大勝軒」のおやじ 小野塚富雄 ―、『いま この人が好きだ!』、椎名誠、新潮社、1983)

[DATA]
[DATA]
一ツ橋 大勝軒
東京都小平市学園西町1-20₋2
[Today's recommendation]

https://www.youtube.com/watch?v=RXxnMP3hsVk


“新生”大勝軒への期待感 【 一ツ橋 大勝軒】
2017.05.14
自分の中で「大勝軒」といえば中野と一橋学園。それ以外はほとんど縁がない。
最近、店の前を通り過ぎぎわに何げなく中をのぞくと店員らしき人が見えた。けっこう若かった。お弟子さんだろうか、と思ってネットで調べてみると、やはりお弟子さんで、しかもすでに代替わりしているという。
寂しいような好ましいような複雑な気持ちだが、やっぱりよかったんだろう。
何しろ先代はずいぶん前に一度引退宣言をしているのだから。

あれはいつごろのことだったろう、とちょっと調べたらちゃんと情報が見つかるからいまの時代はすごい。
ついこの間のことのような気がしていたが、もう8年も前の話だ。この記事に出てくる“終業”告知のボードを、自分も見ている。春先に見つけたその内容が半年も先の予告だったから、なんか未練ありそう… と思っていたんだが、実際刻限を過ぎても終業の気配はなく営業を続けていた。
記憶があいまいだが、お客さんに説得されて翻意したという話を聞いたような気がする。

その後、僕はたぶん1回しか行っていない。
一度引退宣言をしていながら、しかも理由が体力問題であったにもかかわらず、仕切り直してからずいぶん長く頑張っているなと思って見てはいたが。
ということで、代替わりを知ったのはつい最近のことだが、もう3年ほどたつらしい。
それを知ってからずっと気になっていて、久しぶりに行ってみることにした。

ご夫婦だろうか、壮年の男女で切り盛りしている。
以前は感じなかったが店内は清潔感が漂う。強烈だった臭気もそれほど感じない。やはり若い女性目線は大事ということか。
2時近いのにけっこう客が入っていて、自分の前に4人、後ろに3人で、一時はほぼ席が埋まった。

ラーメン800円は、四角いステンレスのトレーにでっかいどんぶりという、以前と同じスタイルでの提供。
ひと口スープをすすって、懐かしい、というか、一ツ橋というより同じ永福町系でも「保谷大勝軒」を思い出した。
以前のこの店の感想を率直に記すと、やわい(麺)、多い(麺)、少ない(具)、乾物くさい(スープ)だったが、そのどの要素も少しずつ振れ幅が小さくなっているように感じる。
麺量に関しては間が空いたから確かなことはいえないが、ゆで加減はやわめではあるが許容範囲内。
具はでかく厚いチャーシューにたっぷりメンマと、むしろ潤沢。スープは保谷を彷彿させる洗練度。

先代のころの唯一無二の個性は失われたようにも思われるが、むしろ多くの人に受け入れられる味に変化しているんじゃないだろうか。やみつきになるからときどき引き寄せられるもいざ入るとなるといろいろ覚悟を要したかつての大勝軒と違って、これならいつでもフラッと利用できそうだ。
何よりもお二人の接客がとても丁寧で気持ちいい。店内の清潔感とも相まって好感度は高い。つくづく後継者に恵まれたと思う。
その先代は後進に道を譲ると同時に新店を立ち上げたというから、引退騒ぎを知る者としては驚きだ(現在は閉店しているようです)。

[DATA]
一ツ橋 大勝軒
東京都小平市学園西町1-20₋2
[Today's recommendation]

https://youtu.be/YZ1ZeZx2yaI

コバノタツナミ、フデリンドウ(玉川上水)
自分の中で「大勝軒」といえば中野と一橋学園。それ以外はほとんど縁がない。
最近、店の前を通り過ぎぎわに何げなく中をのぞくと店員らしき人が見えた。けっこう若かった。お弟子さんだろうか、と思ってネットで調べてみると、やはりお弟子さんで、しかもすでに代替わりしているという。
寂しいような好ましいような複雑な気持ちだが、やっぱりよかったんだろう。
何しろ先代はずいぶん前に一度引退宣言をしているのだから。

あれはいつごろのことだったろう、とちょっと調べたらちゃんと情報が見つかるからいまの時代はすごい。
ついこの間のことのような気がしていたが、もう8年も前の話だ。この記事に出てくる“終業”告知のボードを、自分も見ている。春先に見つけたその内容が半年も先の予告だったから、なんか未練ありそう… と思っていたんだが、実際刻限を過ぎても終業の気配はなく営業を続けていた。
記憶があいまいだが、お客さんに説得されて翻意したという話を聞いたような気がする。

その後、僕はたぶん1回しか行っていない。
一度引退宣言をしていながら、しかも理由が体力問題であったにもかかわらず、仕切り直してからずいぶん長く頑張っているなと思って見てはいたが。
ということで、代替わりを知ったのはつい最近のことだが、もう3年ほどたつらしい。
それを知ってからずっと気になっていて、久しぶりに行ってみることにした。

ご夫婦だろうか、壮年の男女で切り盛りしている。
以前は感じなかったが店内は清潔感が漂う。強烈だった臭気もそれほど感じない。やはり若い女性目線は大事ということか。
2時近いのにけっこう客が入っていて、自分の前に4人、後ろに3人で、一時はほぼ席が埋まった。

ラーメン800円は、四角いステンレスのトレーにでっかいどんぶりという、以前と同じスタイルでの提供。
ひと口スープをすすって、懐かしい、というか、一ツ橋というより同じ永福町系でも「保谷大勝軒」を思い出した。
以前のこの店の感想を率直に記すと、やわい(麺)、多い(麺)、少ない(具)、乾物くさい(スープ)だったが、そのどの要素も少しずつ振れ幅が小さくなっているように感じる。
麺量に関しては間が空いたから確かなことはいえないが、ゆで加減はやわめではあるが許容範囲内。
具はでかく厚いチャーシューにたっぷりメンマと、むしろ潤沢。スープは保谷を彷彿させる洗練度。

先代のころの唯一無二の個性は失われたようにも思われるが、むしろ多くの人に受け入れられる味に変化しているんじゃないだろうか。やみつきになるからときどき引き寄せられるもいざ入るとなるといろいろ覚悟を要したかつての大勝軒と違って、これならいつでもフラッと利用できそうだ。
何よりもお二人の接客がとても丁寧で気持ちいい。店内の清潔感とも相まって好感度は高い。つくづく後継者に恵まれたと思う。
その先代は後進に道を譲ると同時に新店を立ち上げたというから、引退騒ぎを知る者としては驚きだ(現在は閉店しているようです)。

[DATA]
一ツ橋 大勝軒
東京都小平市学園西町1-20₋2
[Today's recommendation]

https://youtu.be/YZ1ZeZx2yaI

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