得難いしっぽり感 【きやり 神田明神前店】
2023.11.12
「平将門北斗七星めぐり」前半は日本経済の中心的ビジネス街をめぐるため、日曜日は閑散たる様子。
実はそのあたり(前々記事に写真を載せた神田橋交差点付近)に勤めていたことがあり、将門塚よりわずか250mの地下鉄出入り口を通勤に使っていたにもかかわらず、当時そんな旧跡の存在などまったく知らないままに日々を送っていたという。
当時のことで覚えているのは「小諸そば」の淡路町のお店ぐらいだが、なくなっちゃったみたいだ。

12:46、神田明神の鳥居をくぐる。
時間的に当然、腹が、減った……

鳥居から隨神門までの参道に門前町が形成されている。
その一角におそば屋さん。
まさに門前そば。

というか、門中…?
ホームページには、江戸総鎮守 神田明神“鳥居内”とある。

あとで知ったが、こちら“聚楽グループ”。
上野の西郷さんとこにあった「聚落台」の聚落。
聞くだに昭和感漂う。

たとえば、まさに七五三シーズンだが、そういった需要に応えるといったタイプ。
会食系というんでしょうか、そういうの大事です。

海老と三つ葉のかき揚げそばと小江戸セットを注文。

――江戸総鎮守『神田明神』鳥居内で開業したのが「明神そば」の由来。季節に応じてこだわりのそば粉を使用し、二八で打つ本格蕎麦。お昼はお得なセット料理、夜はしっとりとした雰囲気で季節の逸品と豊富にそろえた地酒が楽しめます。(お店HPより)

海老と三つ葉のかき揚げそばのかき揚げが想定外にでかい。

品書きには“海老と三つ葉”と書いてあるが、たまねぎ主体の庶民的な天ぷらだ。
まあ、歩き疲れにはちょうどよい栄養補給。

小江戸セットは、そば+彩り小丼。
彩り小丼の内容は、まぐろ・とろろ・のり・オクラ・なめ茸・うずら卵。

奴はとんでもないものを… もとい、神妙にお縄を頂戴… の聖地巡礼スポットでも知られる神田明神。

こういうしっぽり感、なかなか得難い。
平将門北斗七星めぐり編おしまい。

[DATA]
きやり 神田明神前店
東京都千代田区外神田2-18-12
https://juraku.com/rest/soba
[Today's recommendation]

ウクライナ支援疲れとはこういう状況だろうか。ゲルギエフでないとどうにもならんということもある https://youtu.be/av0SFzcfRBE?si=eowkIUDQpwfdDilh




将門塚
「平将門北斗七星めぐり」前半は日本経済の中心的ビジネス街をめぐるため、日曜日は閑散たる様子。
実はそのあたり(前々記事に写真を載せた神田橋交差点付近)に勤めていたことがあり、将門塚よりわずか250mの地下鉄出入り口を通勤に使っていたにもかかわらず、当時そんな旧跡の存在などまったく知らないままに日々を送っていたという。
当時のことで覚えているのは「小諸そば」の淡路町のお店ぐらいだが、なくなっちゃったみたいだ。

12:46、神田明神の鳥居をくぐる。
時間的に当然、腹が、減った……

鳥居から隨神門までの参道に門前町が形成されている。
その一角におそば屋さん。
まさに門前そば。

というか、門中…?
ホームページには、江戸総鎮守 神田明神“鳥居内”とある。

あとで知ったが、こちら“聚楽グループ”。
上野の西郷さんとこにあった「聚落台」の聚落。
聞くだに昭和感漂う。

たとえば、まさに七五三シーズンだが、そういった需要に応えるといったタイプ。
会食系というんでしょうか、そういうの大事です。

海老と三つ葉のかき揚げそばと小江戸セットを注文。

――江戸総鎮守『神田明神』鳥居内で開業したのが「明神そば」の由来。季節に応じてこだわりのそば粉を使用し、二八で打つ本格蕎麦。お昼はお得なセット料理、夜はしっとりとした雰囲気で季節の逸品と豊富にそろえた地酒が楽しめます。(お店HPより)

海老と三つ葉のかき揚げそばのかき揚げが想定外にでかい。

品書きには“海老と三つ葉”と書いてあるが、たまねぎ主体の庶民的な天ぷらだ。
まあ、歩き疲れにはちょうどよい栄養補給。

小江戸セットは、そば+彩り小丼。
彩り小丼の内容は、まぐろ・とろろ・のり・オクラ・なめ茸・うずら卵。

奴はとんでもないものを… もとい、神妙にお縄を頂戴… の聖地巡礼スポットでも知られる神田明神。

こういうしっぽり感、なかなか得難い。
平将門北斗七星めぐり編おしまい。

[DATA]
きやり 神田明神前店
東京都千代田区外神田2-18-12

[Today's recommendation]

ウクライナ支援疲れとはこういう状況だろうか。ゲルギエフでないとどうにもならんということもある https://youtu.be/av0SFzcfRBE?si=eowkIUDQpwfdDilh




将門塚
将門印のお土産処 【神田明神文化交流館 EDOCCO】
2023.11.12
「平将門北斗七星めぐり」7社の4番目が神田明神。
到着時刻は12時45分。
ネット情報によれば全行程およそ5時間とのことで、歩き始めが10時半なのでちょうど中間点という感じ。



ここでちょっと休憩。
昼めし時なので食事もしているが、それは次回として、まずはお土産の話。

去年のGWに上野に遊びに行った帰りに神田明神に寄っており、立派な売店があって驚かされた。
物販や飲食スペースのほか700人収容の多目的ホールも備える「神田明神文化交流館 EDOCCO」というスペースで、2018年12月にオープンしている。

※許可をいただいて撮影
“将門麦酒”なるものが売られていて、お土産に買ってウケがよかった。
インスタに上げたつもりでいたが、確認してみると投稿が見当たらないので、ここであらためて。

“将門酒”というのもあるが、cost/performance的に折り合いがつかず、今回もやっぱり将門麦酒かな。

あと甘い物好きの人は“神田明神 ごまだれ餅”。


“将門煎餅”もあるよ

こういうオープンな神社、大好き❣
(つづく)

[DATA]
神田明神文化交流館 EDOCCO
東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/edocco/
[Today's recommendation]

https://youtu.be/lyzfBCl2nKc?si=JYq2YXVhbxhvdBvz




次号予告
「平将門北斗七星めぐり」7社の4番目が神田明神。
到着時刻は12時45分。
ネット情報によれば全行程およそ5時間とのことで、歩き始めが10時半なのでちょうど中間点という感じ。



ここでちょっと休憩。
昼めし時なので食事もしているが、それは次回として、まずはお土産の話。

去年のGWに上野に遊びに行った帰りに神田明神に寄っており、立派な売店があって驚かされた。
物販や飲食スペースのほか700人収容の多目的ホールも備える「神田明神文化交流館 EDOCCO」というスペースで、2018年12月にオープンしている。

※許可をいただいて撮影
“将門麦酒”なるものが売られていて、お土産に買ってウケがよかった。
インスタに上げたつもりでいたが、確認してみると投稿が見当たらないので、ここであらためて。

“将門酒”というのもあるが、cost/performance的に折り合いがつかず、今回もやっぱり将門麦酒かな。

あと甘い物好きの人は“神田明神 ごまだれ餅”。


“将門煎餅”もあるよ

こういうオープンな神社、大好き❣
(つづく)

[DATA]
神田明神文化交流館 EDOCCO
東京都千代田区外神田2-16-2

[Today's recommendation]

https://youtu.be/lyzfBCl2nKc?si=JYq2YXVhbxhvdBvz




次号予告
北斗信仰をめぐる ――平将門北斗七星めぐり
2023.11.12
日曜日なのでお出かけしたいが、予報が思わしくない。
山歩きはちょっとキビシイが、街ならどうだろう。
朝、目が覚めてふと思い浮かんだのが、“平将門北斗七星めぐり”。
ストンと落ちてきた感じで、これは天の声じゃなかろうか。
調べてみると――
939(天慶2)年11月、平将門は常陸・下野・上野を攻め落とし関東を制覇。朝廷に反旗を翻し自らを新皇を名乗る。
11月は平将門の乱。
ちなみに、ゆかりの地・茨城県坂東市では毎年11月の第2日曜日(つまり今日)、「坂東市将門まつり」が開催される。
北斗七星めぐりとは、平将門にまつわる神社が都内に7つ、北斗七星の形に配置してあり、一日で全部めぐればご利益にあずかるというもの。
将門が信じたとされる妙見信仰に由来しており、それは北斗七星を“妙見菩薩”として神格化し、天之御中主大神、鎮宅霊符神として崇めた信仰である。
いわば都市伝説のたぐいだが、スタンプラリーが行われたりもしているらしい。
今回めぐったルート:①鳥越神社、②兜神社、③将門塚、④神田明神、⑤筑土八幡神社、⑥水稲荷神社、⑦鎧神社 © OpenStreetMap contributors
七福神めぐりもそうだが、信心やご利益というより、歩いたら面白そうだという純粋な街歩き的好奇心に突き動かされている。
対象が寺社なだけに、どっちが純粋で、不純か… 微妙なところではあるが。
ということで、ちゃちゃっと計画を立て……
10:34、御徒町駅到着。

北斗七星めぐりは、めぐり順が決められているという(あとで知ったんだけど…💦)
1番目は鳥越神社。

御徒町

日光街道
御徒町駅から20分近く歩く。
地図でざっと見た感じよりこのあたりの縮尺感はだいぶ大きく感じられ、早くもペースが狂う。
途中パラッときたと思ったら、鳥越神社に着くころには本降りに。
いきなり暗雲立ち込める🌨

蔵前橋通り(左が鳥越神社)
鳥越神社
東京都台東区鳥越2-4-1
https://www.facebook.com/torikoej/?locale=ja_JP



日本武尊を祭って白鳥神社と称したのが鳥越神社のはじまりとされる。
伊勢国能褒野で亡くなった日本武尊は白鳥と化し北天(妙見菩薩のもと)へ旅立ったという“日本武尊白鳥伝説”から、妙見信仰=将門と結び付けるなど、やや都市伝説的。
将門の首が飛び越していったので“飛び越え(鳥越)”という説も。

浅草橋
雨が降り続けば撤収やむなきに至るところだが、鳥越神社最寄りの浅草橋駅のあたりで早くも小降りに。
ナントカと秋の空で、こちらも気持ちを切り替えて先へ進む。

左衛門橋(神田川)

甘酒横丁

茅場橋(日本橋川)

東京証券取引所(左)
兜神社
東京都中央区日本橋兜町1-12
https://www.jpx.co.jp/corporate/about-jpx/history/01-04.html



940(天慶3)年、承平天慶の乱で将門を討ち取った藤原秀郷が、首を京都へ運ぶ途中にこの地で将門の兜を供養したとされる。
世界屈指の金融センターとしてその名をとどろかせた兜町の名前の由来にもなっている。
――「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。(「日本橋兜町」Wikipediaより、最終更新2023年3月1日23:37 )

日本橋(日本橋川)

日本橋川(常盤橋より)

丸の内
将門塚(しょうもんづか・まさかどづか)
東京都千代田区大手町1-2-1
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65



ご存じ将門の首を供養するために建てられた石碑。
――平安京でさらされた平将門の首は、数ヶ月経った後も目を開いたり閉じたりを繰り返し、ときには「首を繋げて再戦したい」と叫ぶなどして民を恐怖に追いやりました。その後、平将門の首は怨念により故郷の東国に向かって飛んでいき、その途中の土地土地に落ちた、という伝説があります。その首が落ちた場所の一つが、ここ「将門の首塚」なのです。(「将門塚」千代田区HPより)

近代においても、東京の中心部にあって都市計画上の障害となることから何度か取り壊し・撤去が計画されたが、不審な事故が相次ぐなどして将門の祟りがうわさされ、計画はことごとく取りやめとなっている。
10数年前に一度来たことがあり、そのときはたしかビルにコの字形に囲まれ、オドロオドロしい雰囲気も漂っていたが、西側が開けて明るい印象に変わっている。

神田橋交差点

ニコライ堂
神田明神
東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp/



神田神社(神田明神)の神祭は、大己貴命(大黒)、少彦名命(恵比寿)、平将門の三柱。
――平将門命(たいらのまさかどのみこと):まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。(「御祭神」神田明神HPより)
ここでひと休みして、お土産&昼ごはん(→次記事&次々記事予定)。

「神田明神文化交流館 EDOCCO」では将門酒や将門麦酒が売られている

飯田橋交差点
筑土八幡神社
東京都新宿区筑土八幡町2-1
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/shinjuku/5437/



将門ゆかりの神社としては約1.2km南東の「筑土神社」が有名だが、北斗七星の配置? でこちら八幡宮。
築土神社は940(天慶3)年、現在の大手町周辺の観音堂に将門を祀り津久戸大明神と称したのがはじまりとされる。1616(元和2)年に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転、以来300年以上の間、両社は並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼、築土神社は九段北へ移転し現在に至る。

馬場下町交差点

西早稲田交差点
水稲荷神社
東京都新宿区西早稲田3-5-43
https://mizuinari.net/



――天慶四年(941年)鎮守府将軍、俵藤太秀郷朝臣が旧社地(現早稲田大学九号館法商研究棟)の「富塚」の上に稲荷大神を勧請され、富塚稲荷、将軍稲荷と初めは呼ばれる。(「神社の御由緒」水稲荷神社HPより)
俵藤太秀郷とは将門を討ち取った藤原秀郷の別名で、941年は将門討伐の翌年であることから、大願成就によって当地に稲荷大神を勧請したと考えられている。
(過去記事も参照ください)

戸山公園

鎧ガード
鎧神社
東京都新宿区北新宿3-16-18
http://yoroi.or.jp/



――天慶三年(940)、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧もまた当地に埋めたと言われています。また一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気がたちまち治ったと言われます。(「鎧神社ものがたり」鎧神社HPより)

職安通り
「鎧神社」の最寄り駅はJR大久保駅だが、僕らの場合は西武線が地元路線なので西武新宿駅をゴールに設定してある。
16:24、西武新宿駅到着。

西武新宿駅
あとでGoogleマップで測距してみると、全工程(御徒町→西武新宿)20km強。
しかしアスファルト路の20kmはかなりこたえる。
途中、神田明神のあたりで癖になっている左股関節痛が出て、かばいかばい歩いていたため飯田橋交差点歩道橋階段で左足ふくらはぎが激しくつる。さらに右ハムストリング痙攣、右坐骨神経痛… と、満身創痍のゴール。
いろいろな気づき(体の悪いとことか💦)がありました。
(つづく)

[DATA]
将門塚
東京都千代田区大手町1-2-1
https://visit-chiyoda.tokyo/app/spot/detail/65
[Today's recommendation]

https://youtu.be/ujnYf2FypEY?si=qwnxG7mt4kx-xSFZ




お土産
日曜日なのでお出かけしたいが、予報が思わしくない。
山歩きはちょっとキビシイが、街ならどうだろう。
朝、目が覚めてふと思い浮かんだのが、“平将門北斗七星めぐり”。
ストンと落ちてきた感じで、これは天の声じゃなかろうか。
調べてみると――
939(天慶2)年11月、平将門は常陸・下野・上野を攻め落とし関東を制覇。朝廷に反旗を翻し自らを新皇を名乗る。
11月は平将門の乱。
ちなみに、ゆかりの地・茨城県坂東市では毎年11月の第2日曜日(つまり今日)、「坂東市将門まつり」が開催される。
北斗七星めぐりとは、平将門にまつわる神社が都内に7つ、北斗七星の形に配置してあり、一日で全部めぐればご利益にあずかるというもの。
将門が信じたとされる妙見信仰に由来しており、それは北斗七星を“妙見菩薩”として神格化し、天之御中主大神、鎮宅霊符神として崇めた信仰である。
いわば都市伝説のたぐいだが、スタンプラリーが行われたりもしているらしい。
![]() | ![]() | ![]() |
七福神めぐりもそうだが、信心やご利益というより、歩いたら面白そうだという純粋な街歩き的好奇心に突き動かされている。
対象が寺社なだけに、どっちが純粋で、不純か… 微妙なところではあるが。
ということで、ちゃちゃっと計画を立て……
10:34、御徒町駅到着。

北斗七星めぐりは、めぐり順が決められているという(あとで知ったんだけど…💦)
1番目は鳥越神社。

御徒町

日光街道
御徒町駅から20分近く歩く。
地図でざっと見た感じよりこのあたりの縮尺感はだいぶ大きく感じられ、早くもペースが狂う。
途中パラッときたと思ったら、鳥越神社に着くころには本降りに。
いきなり暗雲立ち込める🌨

蔵前橋通り(左が鳥越神社)

東京都台東区鳥越2-4-1




日本武尊を祭って白鳥神社と称したのが鳥越神社のはじまりとされる。
伊勢国能褒野で亡くなった日本武尊は白鳥と化し北天(妙見菩薩のもと)へ旅立ったという“日本武尊白鳥伝説”から、妙見信仰=将門と結び付けるなど、やや都市伝説的。
将門の首が飛び越していったので“飛び越え(鳥越)”という説も。

浅草橋
雨が降り続けば撤収やむなきに至るところだが、鳥越神社最寄りの浅草橋駅のあたりで早くも小降りに。
ナントカと秋の空で、こちらも気持ちを切り替えて先へ進む。

左衛門橋(神田川)

甘酒横丁

茅場橋(日本橋川)

東京証券取引所(左)

東京都中央区日本橋兜町1-12




940(天慶3)年、承平天慶の乱で将門を討ち取った藤原秀郷が、首を京都へ運ぶ途中にこの地で将門の兜を供養したとされる。
世界屈指の金融センターとしてその名をとどろかせた兜町の名前の由来にもなっている。
――「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。(「日本橋兜町」Wikipediaより、最終更新2023年3月1日23:37 )

日本橋(日本橋川)

日本橋川(常盤橋より)

丸の内

東京都千代田区大手町1-2-1




ご存じ将門の首を供養するために建てられた石碑。
――平安京でさらされた平将門の首は、数ヶ月経った後も目を開いたり閉じたりを繰り返し、ときには「首を繋げて再戦したい」と叫ぶなどして民を恐怖に追いやりました。その後、平将門の首は怨念により故郷の東国に向かって飛んでいき、その途中の土地土地に落ちた、という伝説があります。その首が落ちた場所の一つが、ここ「将門の首塚」なのです。(「将門塚」千代田区HPより)

近代においても、東京の中心部にあって都市計画上の障害となることから何度か取り壊し・撤去が計画されたが、不審な事故が相次ぐなどして将門の祟りがうわさされ、計画はことごとく取りやめとなっている。
10数年前に一度来たことがあり、そのときはたしかビルにコの字形に囲まれ、オドロオドロしい雰囲気も漂っていたが、西側が開けて明るい印象に変わっている。

神田橋交差点

ニコライ堂

東京都千代田区外神田2-16-2




神田神社(神田明神)の神祭は、大己貴命(大黒)、少彦名命(恵比寿)、平将門の三柱。
――平将門命(たいらのまさかどのみこと):まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。(「御祭神」神田明神HPより)
ここでひと休みして、お土産&昼ごはん(→次記事&次々記事予定)。

「神田明神文化交流館 EDOCCO」では将門酒や将門麦酒が売られている

飯田橋交差点

東京都新宿区筑土八幡町2-1




将門ゆかりの神社としては約1.2km南東の「筑土神社」が有名だが、北斗七星の配置? でこちら八幡宮。
築土神社は940(天慶3)年、現在の大手町周辺の観音堂に将門を祀り津久戸大明神と称したのがはじまりとされる。1616(元和2)年に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転、以来300年以上の間、両社は並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼、築土神社は九段北へ移転し現在に至る。

馬場下町交差点

西早稲田交差点

東京都新宿区西早稲田3-5-43




――天慶四年(941年)鎮守府将軍、俵藤太秀郷朝臣が旧社地(現早稲田大学九号館法商研究棟)の「富塚」の上に稲荷大神を勧請され、富塚稲荷、将軍稲荷と初めは呼ばれる。(「神社の御由緒」水稲荷神社HPより)
俵藤太秀郷とは将門を討ち取った藤原秀郷の別名で、941年は将門討伐の翌年であることから、大願成就によって当地に稲荷大神を勧請したと考えられている。
(過去記事も参照ください)

戸山公園

鎧ガード

東京都新宿区北新宿3-16-18




――天慶三年(940)、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧もまた当地に埋めたと言われています。また一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気がたちまち治ったと言われます。(「鎧神社ものがたり」鎧神社HPより)

職安通り
「鎧神社」の最寄り駅はJR大久保駅だが、僕らの場合は西武線が地元路線なので西武新宿駅をゴールに設定してある。
16:24、西武新宿駅到着。

西武新宿駅
あとでGoogleマップで測距してみると、全工程(御徒町→西武新宿)20km強。
しかしアスファルト路の20kmはかなりこたえる。
途中、神田明神のあたりで癖になっている左股関節痛が出て、かばいかばい歩いていたため飯田橋交差点歩道橋階段で左足ふくらはぎが激しくつる。さらに右ハムストリング痙攣、右坐骨神経痛… と、満身創痍のゴール。
いろいろな気づき(体の悪いとことか💦)がありました。
(つづく)

[DATA]
将門塚
東京都千代田区大手町1-2-1

[Today's recommendation]

https://youtu.be/ujnYf2FypEY?si=qwnxG7mt4kx-xSFZ




お土産