手淹れコーヒーと地元野菜のプレートランチ 【Sane cafe & gallery】
2023.09.20
前記事の続きで、「お休み処 坂長」内のお食事処「Sane cafe(サネカフェ)」。

こちらのカフェスペースはリノベーションの際に新規に造り付けられたものだろうか。
国指定有形文化財「坂長本店」の中心に位置し、店蔵・主屋と背中合わせに接し、残る2面は総ガラス張りで石蔵・中蔵・文庫蔵をざっと見渡すことができる。


Saneとは“実(さね)”。
その字の持つ“まごころ・満ちる”という意味から、人と人をつなぐ豊かな憩いの場をコンセプトに、手間を惜しまず丁寧に淹れたコーヒーや、地元農産物を使用したランチ・軽食を提供している。

食事はプレートランチ一つのみで選択の余地がない。
内容はおそらく日替わりで、本日のメニューはバジルソースのチキンソテー、ズッキーニのキッシュ、モロヘイヤの和マリネ… と実に盛りだくさん。
これら料理名すべてに“古河産”の形容を冠している。

まずスープとサラダ。
やはり“古河産野菜の”トマトチリスープとグリーンサラダ。

メインのプレート。

ご飯は十四雑穀米。

皮パリパリの鶏肉がおいしい。
特記はないので銘柄鶏というわけではないかもしれないが、腕のよさ?
バジルソースのチキンソテー、野菜たっぷりトマトチリスープ、ズッキーニのキッシュ
メイン以外のマリネやキッシュについても手がかかっていることがよくわかる仕上がり。
器や盛り付けもさりげなくおしゃれ。

地元野菜のおいしさが堪能でき、おなかもいっぱい。

ランチはこだわりのドリンク付き(600円までのもの、それ以上は差額プラス)で1600円と、考えてみるとかなりお得感がある。
手作りジンジャエールと限定メニューの向日葵コーヒー。

使用している陶器はすべて坂東市の工房で作られたもので(HP参照)、こちら“cafe & gallery”の和室ギャラリーで展示・販売されている。

平日でほかに客はなく、国の有形文化財ひとり占め的な、この贅沢感!
(つづく)

[DATA]
Sane cafe & gallery(サネカフェ&ギャラリー)
茨城県古河市中央町3-1-39
https://www.sanecafe-gallery.com/
https://www.facebook.com/Sanecafe/
https://www.instagram.com/sane_cafe/
[Today's recommendation]

https://youtu.be/16RELCOoUwY?si=X2l8-yx_Db4EnST9




次号予告
前記事の続きで、「お休み処 坂長」内のお食事処「Sane cafe(サネカフェ)」。

こちらのカフェスペースはリノベーションの際に新規に造り付けられたものだろうか。
国指定有形文化財「坂長本店」の中心に位置し、店蔵・主屋と背中合わせに接し、残る2面は総ガラス張りで石蔵・中蔵・文庫蔵をざっと見渡すことができる。


Saneとは“実(さね)”。
その字の持つ“まごころ・満ちる”という意味から、人と人をつなぐ豊かな憩いの場をコンセプトに、手間を惜しまず丁寧に淹れたコーヒーや、地元農産物を使用したランチ・軽食を提供している。

食事はプレートランチ一つのみで選択の余地がない。
内容はおそらく日替わりで、本日のメニューはバジルソースのチキンソテー、ズッキーニのキッシュ、モロヘイヤの和マリネ… と実に盛りだくさん。
これら料理名すべてに“古河産”の形容を冠している。

まずスープとサラダ。
やはり“古河産野菜の”トマトチリスープとグリーンサラダ。

メインのプレート。

ご飯は十四雑穀米。

皮パリパリの鶏肉がおいしい。
特記はないので銘柄鶏というわけではないかもしれないが、腕のよさ?
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メイン以外のマリネやキッシュについても手がかかっていることがよくわかる仕上がり。
器や盛り付けもさりげなくおしゃれ。

地元野菜のおいしさが堪能でき、おなかもいっぱい。

ランチはこだわりのドリンク付き(600円までのもの、それ以上は差額プラス)で1600円と、考えてみるとかなりお得感がある。
手作りジンジャエールと限定メニューの向日葵コーヒー。

使用している陶器はすべて坂東市の工房で作られたもので(HP参照)、こちら“cafe & gallery”の和室ギャラリーで展示・販売されている。

平日でほかに客はなく、国の有形文化財ひとり占め的な、この贅沢感!
(つづく)

[DATA]
Sane cafe & gallery(サネカフェ&ギャラリー)
茨城県古河市中央町3-1-39



[Today's recommendation]

https://youtu.be/16RELCOoUwY?si=X2l8-yx_Db4EnST9




次号予告
古河城遺構の観光拠点 【お休み処 坂長】
2023.09.20
前記事の続きで、「鷹見泉石記念館」を出たあと、もう少し先まで歩いてみることに。
「こう暑くちゃ歩き回れないだろう」ということで、実家では2~3軒のお店とその直行ルートを丁寧に教えてもらったが、やっぱり自分のペースになってしまう。
「古河歴史博物館」から「古河文学館」の方角へクランク状に延びる堀様の構造は、前記事に列挙した古河城遺構の一つ「諏訪曲輪跡」。
道案内板には、やはり古河城遺構の「坂長」の文字。
これらはすべて後付けの知識で、現場ではな~んもわかってない… というのはいつものとおり。

諏訪曲輪跡
しかしこの「坂長」という字ヅラには覚えがある。
さっき実家で教わったばかりだから ヽ( ´ー)ノ フッ
とりあえずそこまで歩いてみようか。

お休み処 坂長
「坂長」とは江戸時代初期に両替商を創業し9代目からは酒問屋に業種替えし栄えた商家の屋号で、「お休み処 坂長」はその建造物をカフェやショップ、ミニギャラリーなどとしてよみがえらせた複合施設である。

古河城遺構の店蔵(左)と袖蔵(右)
店蔵・袖蔵・主屋・文庫蔵・中蔵・石蔵からなり、「坂長本店」として2000年に国の有形文化財(建造物)に登録された。

このうち店蔵と袖蔵は1874年の廃城令により古河城が解体・売却された際、城内の文庫蔵と乾蔵の2棟を同家が買い取り移築したもので、古河城遺構というわけである。

石蔵(ミニホール)、文庫蔵(展示室)と見学。

石蔵
石蔵は、外壁は大谷石の切り石積みで、扉口両脇柱およびまぐさに長大な一石の切り石を用いる。
北関東における石蔵の中でも大規模な部類だそうだ。

ステージ付きのミニホールとしてライブ等のイベントに活用されている。

文庫蔵
文庫蔵は主屋の後方に位置する2階建ての土蔵である。
切妻屋根に桟瓦葺き。外壁は白漆喰塗りで、一部黒漆喰。

安政5年の墨書銘があり、困窮者を救済するための“おたすけ普請”により建設されたと伝えられる。

2Fへ上がる急階段。



酒問屋時代の展示物にはかなり惹かれます。

主屋
続いて店蔵を利用した「Shop坂長」で買い物。
買ったのは、しもつかれビスコッティ、雪華まんじゅう、炭火手焼き煎餅、昔しょうゆ、いちじく…。
「文庫蔵2階に奈良漬けの看板がありましたけど、復刻の計画とかは…?」と、そこが気になる奈良漬け好き。
「それが、レシピの記録が残っていなくて…」と、ショップのおねえさん。「変わった奈良漬けだったみたいなんです」
変わった奈良漬け…。
ますます気になるじゃないの ( ̄- ̄;) ンー

セザンヌの静物画のごとき? いちじく
ショップの奥はカフェになっているもよう。
「食事ってできます?」
「ランチは売り切れることも多いんですが、平日ですから大丈夫なんじゃないかと」
(つづく)

[DATA]
お休み処 坂長
茨城県古河市中央町3-1-39
http://sakacho.com/
[Today's recommendation]

https://youtu.be/j9GgmGLPbWU?si=jSkRoXYig-4Bxyvl




次号予告
前記事の続きで、「鷹見泉石記念館」を出たあと、もう少し先まで歩いてみることに。
「こう暑くちゃ歩き回れないだろう」ということで、実家では2~3軒のお店とその直行ルートを丁寧に教えてもらったが、やっぱり自分のペースになってしまう。
「古河歴史博物館」から「古河文学館」の方角へクランク状に延びる堀様の構造は、前記事に列挙した古河城遺構の一つ「諏訪曲輪跡」。
道案内板には、やはり古河城遺構の「坂長」の文字。
これらはすべて後付けの知識で、現場ではな~んもわかってない… というのはいつものとおり。

諏訪曲輪跡
しかしこの「坂長」という字ヅラには覚えがある。
さっき実家で教わったばかりだから ヽ( ´ー)ノ フッ
とりあえずそこまで歩いてみようか。

お休み処 坂長
「坂長」とは江戸時代初期に両替商を創業し9代目からは酒問屋に業種替えし栄えた商家の屋号で、「お休み処 坂長」はその建造物をカフェやショップ、ミニギャラリーなどとしてよみがえらせた複合施設である。

古河城遺構の店蔵(左)と袖蔵(右)
店蔵・袖蔵・主屋・文庫蔵・中蔵・石蔵からなり、「坂長本店」として2000年に国の有形文化財(建造物)に登録された。

このうち店蔵と袖蔵は1874年の廃城令により古河城が解体・売却された際、城内の文庫蔵と乾蔵の2棟を同家が買い取り移築したもので、古河城遺構というわけである。

石蔵(ミニホール)、文庫蔵(展示室)と見学。

石蔵
石蔵は、外壁は大谷石の切り石積みで、扉口両脇柱およびまぐさに長大な一石の切り石を用いる。
北関東における石蔵の中でも大規模な部類だそうだ。

ステージ付きのミニホールとしてライブ等のイベントに活用されている。

文庫蔵
文庫蔵は主屋の後方に位置する2階建ての土蔵である。
切妻屋根に桟瓦葺き。外壁は白漆喰塗りで、一部黒漆喰。

安政5年の墨書銘があり、困窮者を救済するための“おたすけ普請”により建設されたと伝えられる。

2Fへ上がる急階段。



酒問屋時代の展示物にはかなり惹かれます。

主屋
続いて店蔵を利用した「Shop坂長」で買い物。
買ったのは、しもつかれビスコッティ、雪華まんじゅう、炭火手焼き煎餅、昔しょうゆ、いちじく…。
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「文庫蔵2階に奈良漬けの看板がありましたけど、復刻の計画とかは…?」と、そこが気になる奈良漬け好き。
「それが、レシピの記録が残っていなくて…」と、ショップのおねえさん。「変わった奈良漬けだったみたいなんです」
変わった奈良漬け…。
ますます気になるじゃないの ( ̄- ̄;) ンー

セザンヌの静物画のごとき? いちじく
ショップの奥はカフェになっているもよう。
「食事ってできます?」
「ランチは売り切れることも多いんですが、平日ですから大丈夫なんじゃないかと」
(つづく)

[DATA]
お休み処 坂長
茨城県古河市中央町3-1-39

[Today's recommendation]

https://youtu.be/j9GgmGLPbWU?si=jSkRoXYig-4Bxyvl




次号予告
古河藩重臣のための屋敷 【鷹見泉石記念館】
2023.09.20
NHK朝ドラ『らんまん』が来週最終回を迎える。
植物好きとしては放映開始前から楽しみで、「牧野記念庭園」を訪れたりしていたわけだが、ドラマの本筋以上に面白かったのが“八犬伝好き”という主人公妻のキャラクター設定。
牡丹のあざの化粧シーンで一発でハートをわしづかみにされた、“新八犬伝世代”ド真ん中なわしら。
今年3月21日朝、6時のニュースからの流れで連続人形劇『新八犬伝』のアーカイブ放送が始まり、「早起きは三文の得!」などとガッツリ視聴してその日の高尾山行きが遅れ、駐車料金で1000円ほど損をこく。
そればかりか「高尾山やめて古河に行くというのはどうだろう?」等の不規則発言を繰り返していたともいわれる。
それほどわれわれ世代を魅了してやまない『新八犬伝』とは何か…? は調べてもらうとして、なぜ古河か。
古河は滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』の舞台の一つ。
古河御所(古河城)内の利根川に面して築かれた3層の物見櫓“芳流閣”(架空の設定)の屋根上で八犬士の犬飼現八と犬塚信乃が相まみえる“芳流閣の決闘”は、八犬伝屈指の名場面とされ、歌川国芳や月岡芳年など多くの絵師がこの場面を題材にとった作品を残している。
八犬伝といえば古河、古河といえば八犬伝なのである。
ちなみに犬飼現八こそが頬に牡丹のあざの人物であり、犬塚信乃は八犬士でも断トツの人気キャラである(館山市立博物館「南総里見八犬伝総選挙」中間発表参照)。

最近読んだ児童向け『南総里見八犬伝 全4巻』(滝沢馬琴〈著〉、浜たかや〈著〉、山本タカト〈イラスト〉、偕成社、2002)
春のお彼岸から秋のお彼岸へと季節は移ろう。
古河は相方の実家に近く、実家のついでみたいな展開にならざるを得ず、なかなか機会がなかった。
古河城は平安末期または鎌倉初期の築城とされ、室町時代に古河公方・足利成氏が本拠として以降、戦国時代の関東における中心の一つとなった。江戸時代には古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに将軍の日光社参時の宿としても機能したが、明治の廃城令により廃城となり、明治末に開始された渡良瀬川改修工事により残された城跡も大半が消滅。
遺構としては、頼政神社(錦町)、桜町曲輪北側土塁(桜町)、古河歴史博物館(出城(諏訪曲輪)跡)(中央町)、福法寺山門(中央町)、坂長(中央町、次回掲載)などがある。

古河歴史博物館の駐車場に車を止める。

まだまだ残暑厳しく遺構巡りは難しそうだが、今回は下見ということで。
歩き始めてすぐ、武家屋敷風の板塀と長屋門が出現。

「鷹見泉石記念館」とある。
“入場無料”とも。

母屋は竹林に囲まれた藁葺きの趣ある武家屋敷である。

鷹見泉石(1785-1858)は江戸時代の蘭学者であり、家老として藩主・土井利位に仕えた古河藩士。譜代大名として代々幕府の要職を歴任した藩主に近侍して全国各地へ同行し、職務の補佐に務めた。
対外危機意識の高まる幕末、早くから海外事情に関心を寄せ、地理、歴史、兵学、天文、暦数などの文物の収集に努めた。
また、主君・土井利位が雪の結晶を観察してまとめた『雪華図説』の編集にも携わる。

――鷹見泉石記念館は古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つで、隠居後もっぱら蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家と伝わります。建物は寛永10年(1633)古河城主土井利勝が、古河城の御三階櫓を造ったときの余材を使って建てたと伝えられます。もとの建坪は100坪もあり(現在の2倍以上)、屋敷全体は東西に長い他に比べて一段と広大な(現在の4倍以上)ものでした。(古河市HP「鷹見泉石記念館」より)



1990年、改修して「鷹見泉石記念館」として開館。
現在はお茶席、雛飾りや5月人形などの飾り付けのほか、映画・ドラマ・CMの撮影などにも活用されているようだ。

勝手口を出たところにある井戸の向こうに塀と門があり、その先は別施設となる。
(奥原晴湖画室「繍水草堂」👇へつづく)

[DATA]
鷹見泉石記念館
茨城県古河市中央町3-11-2
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/rekihaku/kinenkan.html
[Today's recommendation]

https://youtu.be/Qggz2aunXMc?si=_DwJwJOPYBe5a96L


古河出身の女流南画家
2023.09.20 奥原晴湖画室「繍水草堂」/茨城県古河市中央町3-11
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/rekihaku/seikogashitsu.html

奥原晴湖(1837-1913)は古河出身の南画家で、東京上野や埼玉県熊谷などを活動の拠点とした。


晴湖没後、主を失った画室は、晴湖のおいに当たる池田多喜雄氏によって誕生地である池田家の屋敷地内に移される(1929年)。2008年、晴湖の子孫に当たる故奥原ミチ子氏の遺志により、奥原晴湖画室の寄付申し入れがあり、歴史博物館南側に移築された。
(つづく)

NHK朝ドラ『らんまん』が来週最終回を迎える。
植物好きとしては放映開始前から楽しみで、「牧野記念庭園」を訪れたりしていたわけだが、ドラマの本筋以上に面白かったのが“八犬伝好き”という主人公妻のキャラクター設定。
牡丹のあざの化粧シーンで一発でハートをわしづかみにされた、“新八犬伝世代”ド真ん中なわしら。
今年3月21日朝、6時のニュースからの流れで連続人形劇『新八犬伝』のアーカイブ放送が始まり、「早起きは三文の得!」などとガッツリ視聴してその日の高尾山行きが遅れ、駐車料金で1000円ほど損をこく。
そればかりか「高尾山やめて古河に行くというのはどうだろう?」等の不規則発言を繰り返していたともいわれる。
それほどわれわれ世代を魅了してやまない『新八犬伝』とは何か…? は調べてもらうとして、なぜ古河か。
古河は滝沢馬琴作『南総里見八犬伝』の舞台の一つ。
古河御所(古河城)内の利根川に面して築かれた3層の物見櫓“芳流閣”(架空の設定)の屋根上で八犬士の犬飼現八と犬塚信乃が相まみえる“芳流閣の決闘”は、八犬伝屈指の名場面とされ、歌川国芳や月岡芳年など多くの絵師がこの場面を題材にとった作品を残している。
八犬伝といえば古河、古河といえば八犬伝なのである。
ちなみに犬飼現八こそが頬に牡丹のあざの人物であり、犬塚信乃は八犬士でも断トツの人気キャラである(館山市立博物館「南総里見八犬伝総選挙」中間発表参照)。

最近読んだ児童向け『南総里見八犬伝 全4巻』(滝沢馬琴〈著〉、浜たかや〈著〉、山本タカト〈イラスト〉、偕成社、2002)
春のお彼岸から秋のお彼岸へと季節は移ろう。
古河は相方の実家に近く、実家のついでみたいな展開にならざるを得ず、なかなか機会がなかった。
古河城は平安末期または鎌倉初期の築城とされ、室町時代に古河公方・足利成氏が本拠として以降、戦国時代の関東における中心の一つとなった。江戸時代には古河藩庁が置かれ、行政機能を担うとともに将軍の日光社参時の宿としても機能したが、明治の廃城令により廃城となり、明治末に開始された渡良瀬川改修工事により残された城跡も大半が消滅。
遺構としては、頼政神社(錦町)、桜町曲輪北側土塁(桜町)、古河歴史博物館(出城(諏訪曲輪)跡)(中央町)、福法寺山門(中央町)、坂長(中央町、次回掲載)などがある。

古河歴史博物館の駐車場に車を止める。

まだまだ残暑厳しく遺構巡りは難しそうだが、今回は下見ということで。
歩き始めてすぐ、武家屋敷風の板塀と長屋門が出現。

「鷹見泉石記念館」とある。
“入場無料”とも。

母屋は竹林に囲まれた藁葺きの趣ある武家屋敷である。

鷹見泉石(1785-1858)は江戸時代の蘭学者であり、家老として藩主・土井利位に仕えた古河藩士。譜代大名として代々幕府の要職を歴任した藩主に近侍して全国各地へ同行し、職務の補佐に務めた。
対外危機意識の高まる幕末、早くから海外事情に関心を寄せ、地理、歴史、兵学、天文、暦数などの文物の収集に努めた。
また、主君・土井利位が雪の結晶を観察してまとめた『雪華図説』の編集にも携わる。

――鷹見泉石記念館は古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つで、隠居後もっぱら蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家と伝わります。建物は寛永10年(1633)古河城主土井利勝が、古河城の御三階櫓を造ったときの余材を使って建てたと伝えられます。もとの建坪は100坪もあり(現在の2倍以上)、屋敷全体は東西に長い他に比べて一段と広大な(現在の4倍以上)ものでした。(古河市HP「鷹見泉石記念館」より)



1990年、改修して「鷹見泉石記念館」として開館。
現在はお茶席、雛飾りや5月人形などの飾り付けのほか、映画・ドラマ・CMの撮影などにも活用されているようだ。

勝手口を出たところにある井戸の向こうに塀と門があり、その先は別施設となる。
(奥原晴湖画室「繍水草堂」👇へつづく)

[DATA]
鷹見泉石記念館
茨城県古河市中央町3-11-2

[Today's recommendation]

https://youtu.be/Qggz2aunXMc?si=_DwJwJOPYBe5a96L



2023.09.20 奥原晴湖画室「繍水草堂」/茨城県古河市中央町3-11


奥原晴湖(1837-1913)は古河出身の南画家で、東京上野や埼玉県熊谷などを活動の拠点とした。

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晴湖没後、主を失った画室は、晴湖のおいに当たる池田多喜雄氏によって誕生地である池田家の屋敷地内に移される(1929年)。2008年、晴湖の子孫に当たる故奥原ミチ子氏の遺志により、奥原晴湖画室の寄付申し入れがあり、歴史博物館南側に移築された。
(つづく)
