東日本唯一の神仏習合寺院 【竹寺(八王寺)】
2023.04.23
「竹寺」は奥武蔵の人気スポットである。
正式名称「医王山薬寿院 八王寺」、神仏習合の寺として知られる。
前記事に書いているように、今回のルートでは本堂の裏(上)側からの参拝となる。
それだとわかりづらいので、実際に歩いたのとは逆順に、表側から説明しようと思う。

竹寺駐車場
境内のいちばん低いところに駐車場があり、そちらからのルートがお参りコースだと思うが、それだと少し味気ない。

駐車場の手前で車道から分岐していると思われる、竹林の中を歩いて上る参道が素晴らしい。
これぞ竹寺!
いままさに竹の成長期で、瑞々しい気に満ちている。

竹林の尽きるところに石柱門が立つ。

竹林にクマガイソウが咲いていた
石柱門の先、右手には「竹寺本坊隣 お食事処」。
左に下ると駐車場になるが、その間に牛頭明王などいろいろ見どころがある。

「竹寺本坊隣 お食事処」(次号予告)

牛頭明王

竹めがね

竹めがねを通して見たわけではないが、あれはスカイツリーのような気がする
本坊前の広場の先、稲荷神社風の竹の鳥居をくぐって進むと…

左手に茅の輪が見えてくる。

先の竹の鳥居やこの茅の輪の掛かる鳥居などは、明治維新の神仏分離を免れた神仏習合の寺としての当山を象徴する。
東日本で唯一、神仏習合の原型をとどめている寺院なのだそうだ。

茅の輪をくぐると本殿(牛頭天王社)。
本尊は牛頭天王である。

本殿(牛頭天王社)
――牛頭天王(ごずてんのう)は、インド祇園精舎の守護神ともいわれ、中国に入り、密教、道教、陰陽思想の習合があり、日本に伝わったとされています。さらに陰陽道との関わりを深め、また蘇民将来伝説とも結びつき、スサノオと同体とされています。当山では、疫難消除、除災招福、出世開運の「天王さま」として信仰されています。(竹寺HPより)

牛頭天王社は1999年焼失したが2003年に再建された
本殿には、木造の牛頭天王坐像と八王子(牛頭天王の八人の童子)が祀られており、12年に一度、丑年に開帳される。
次回の開帳は2033年。

その先、前記事末尾写真の本堂を見下ろすあたりに“⇐鐘楼”の立て札があり、実は最初に鐘楼まで登っている。

これがけっこうキツい行程で途中後悔したが、登ってみると周囲最高点で、いわゆる360度のパノラマ(樹木が邪魔をするが)。


最高点というものに到達した経験があまりなかったので… ヒャッホー!! ヾ(*>∀<)ノ ヒャッホー!!
(つづく)

名栗方面

都心方面
[DATA]
竹寺(八王寺)
埼玉県飯能市南704
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[Today's recommendation]

https://youtu.be/_u6bmagKNfc




次号予告
「竹寺」は奥武蔵の人気スポットである。
正式名称「医王山薬寿院 八王寺」、神仏習合の寺として知られる。
前記事に書いているように、今回のルートでは本堂の裏(上)側からの参拝となる。
それだとわかりづらいので、実際に歩いたのとは逆順に、表側から説明しようと思う。

竹寺駐車場
境内のいちばん低いところに駐車場があり、そちらからのルートがお参りコースだと思うが、それだと少し味気ない。

駐車場の手前で車道から分岐していると思われる、竹林の中を歩いて上る参道が素晴らしい。
これぞ竹寺!
いままさに竹の成長期で、瑞々しい気に満ちている。

竹林の尽きるところに石柱門が立つ。

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石柱門の先、右手には「竹寺本坊隣 お食事処」。
左に下ると駐車場になるが、その間に牛頭明王などいろいろ見どころがある。

「竹寺本坊隣 お食事処」(次号予告)

牛頭明王

竹めがね

竹めがねを通して見たわけではないが、あれはスカイツリーのような気がする
本坊前の広場の先、稲荷神社風の竹の鳥居をくぐって進むと…

左手に茅の輪が見えてくる。

先の竹の鳥居やこの茅の輪の掛かる鳥居などは、明治維新の神仏分離を免れた神仏習合の寺としての当山を象徴する。
東日本で唯一、神仏習合の原型をとどめている寺院なのだそうだ。

茅の輪をくぐると本殿(牛頭天王社)。
本尊は牛頭天王である。

本殿(牛頭天王社)
――牛頭天王(ごずてんのう)は、インド祇園精舎の守護神ともいわれ、中国に入り、密教、道教、陰陽思想の習合があり、日本に伝わったとされています。さらに陰陽道との関わりを深め、また蘇民将来伝説とも結びつき、スサノオと同体とされています。当山では、疫難消除、除災招福、出世開運の「天王さま」として信仰されています。(竹寺HPより)

牛頭天王社は1999年焼失したが2003年に再建された
本殿には、木造の牛頭天王坐像と八王子(牛頭天王の八人の童子)が祀られており、12年に一度、丑年に開帳される。
次回の開帳は2033年。

その先、前記事末尾写真の本堂を見下ろすあたりに“⇐鐘楼”の立て札があり、実は最初に鐘楼まで登っている。

これがけっこうキツい行程で途中後悔したが、登ってみると周囲最高点で、いわゆる360度のパノラマ(樹木が邪魔をするが)。


最高点というものに到達した経験があまりなかったので… ヒャッホー!! ヾ(*>∀<)ノ ヒャッホー!!
(つづく)

名栗方面

都心方面
[DATA]
竹寺(八王寺)
埼玉県飯能市南704




[Today's recommendation]

https://youtu.be/_u6bmagKNfc




次号予告
一丁目一番地の奥の院? 【草むら】
2023.03.29
前記事の最初の写真にも写っている大宮八幡宮表参道入り口のラーメン店「草むら」。
“門前〇〇そば”シリーズ。
(👉このへんとかこのへんとか)

左が方南通りで右が大宮八幡宮表参道
大宮八幡宮の愛称“東京のへそ”は、当地(35°40'56.1"N / 139°38'24.1"E)が東京の重心に当たるという意味。
「草むら」の住所は杉並区大宮1-1-1。
東京の重心 大宮の一丁目一番地に鎮座まします。

平安中期天喜年中の創業と伝えられ… るわけはないが、ラーメンデータベースによれば創業1956年。

いろんな情報が入り乱れていて深入りするのは危険そうなのでサラッとなぞるだけにするが、こちらはいわゆる永福町大勝軒系。
永福町系のおおもと「永福町大勝軒」創業者(草村賢治氏)のお名前からもわかるように血縁筋で、この系統の最上流に位置する。
某グルメサイトのレビューに“永福町大勝軒の奥の院”という表現を見つけ、歴史的にも地理的にも言い得て妙… と思いました。

永福町系好き的には“本堂”「永福町大勝軒」ともども特別感ある存在で、気後れしてずっと遠巻きに眺めていたが、先日、意を決してその本堂のほうに入ってみれば行き届いた接客でアメニティ抜群なのである。
「草むら」のハードルが低くなったのは言うまでもない。

特に意味はなく、運動のため自転車で遠出した先で、たまたまタイミングがよかったから入ったということだが。
こぢんまりした店内は、カウンター席とその背中合わせの窓際の席を合わせて10席ほど。
注文はラーメン。

永福町系といえば量が多いので有名だが、ほかのお客さんの注文を聞いていると餃子やチャーハンを組み合わせる人がほとんどで、ラーメン類単品はごく少数派。

ラーメン来る。
想像していたデカいどんぶりではなく、街の中華屋さんのような普通のラーメンどんぶりである。
永福町系のトレードマーク的なステンレストレーもなし。
麺量はごく普通なので、量を食べる人は組み合わせ必至かも。

煮干しの効いたしょうゆ味のスープにユルめの麺は、まさに永福町系。
はじめ煮干しを強く感じるが、ラードの風味も大事な要素だと思う。

初めて食べたにもかかわらず、(平安とは言わないが)50年くらい過去へ飛ばされる。

[DATA]
草むら
東京都杉並区大宮1-1-1
[Today's recommendation]

https://youtu.be/z9tECKZ60zk


前記事の最初の写真にも写っている大宮八幡宮表参道入り口のラーメン店「草むら」。
“門前〇〇そば”シリーズ。
(👉このへんとかこのへんとか)

左が方南通りで右が大宮八幡宮表参道
大宮八幡宮の愛称“東京のへそ”は、当地(35°40'56.1"N / 139°38'24.1"E)が東京の重心に当たるという意味。
「草むら」の住所は杉並区大宮1-1-1。
東京の重心 大宮の一丁目一番地に鎮座まします。

平安中期天喜年中の創業と伝えられ… るわけはないが、ラーメンデータベースによれば創業1956年。

いろんな情報が入り乱れていて深入りするのは危険そうなのでサラッとなぞるだけにするが、こちらはいわゆる永福町大勝軒系。
永福町系のおおもと「永福町大勝軒」創業者(草村賢治氏)のお名前からもわかるように血縁筋で、この系統の最上流に位置する。
某グルメサイトのレビューに“永福町大勝軒の奥の院”という表現を見つけ、歴史的にも地理的にも言い得て妙… と思いました。

永福町系好き的には“本堂”「永福町大勝軒」ともども特別感ある存在で、気後れしてずっと遠巻きに眺めていたが、先日、意を決してその本堂のほうに入ってみれば行き届いた接客でアメニティ抜群なのである。
「草むら」のハードルが低くなったのは言うまでもない。

特に意味はなく、運動のため自転車で遠出した先で、たまたまタイミングがよかったから入ったということだが。
こぢんまりした店内は、カウンター席とその背中合わせの窓際の席を合わせて10席ほど。
注文はラーメン。

永福町系といえば量が多いので有名だが、ほかのお客さんの注文を聞いていると餃子やチャーハンを組み合わせる人がほとんどで、ラーメン類単品はごく少数派。

ラーメン来る。
想像していたデカいどんぶりではなく、街の中華屋さんのような普通のラーメンどんぶりである。
永福町系のトレードマーク的なステンレストレーもなし。
麺量はごく普通なので、量を食べる人は組み合わせ必至かも。

煮干しの効いたしょうゆ味のスープにユルめの麺は、まさに永福町系。
はじめ煮干しを強く感じるが、ラードの風味も大事な要素だと思う。

初めて食べたにもかかわらず、(平安とは言わないが)50年くらい過去へ飛ばされる。

[DATA]
草むら
東京都杉並区大宮1-1-1
[Today's recommendation]

https://youtu.be/z9tECKZ60zk


排骨? 骨付? 大肉? の点と線 【弘華飯店】
2017.05.27
お店に入るなりおかあさんに「そこがいいんじゃない?」と席を指示され、「いまメニュー持ってくるね」と言うから壁を指さした。
「チャップ… チャーハン? 麺?」
「麺」と僕。
去年初めて食べたラーメン類でベスト3に入るのがここ「弘華飯店」の大肉麺(チャップそば)。
そしてこちらの大肉炒飯(チャップチャーハン)は、去年初めて食べた炒飯類でベスト3に入る。

大肉(チャップ)とは豚の肩ロースに味付けをして油で揚げたもの。一般的に排骨(パイコー;パーコー)と呼ばれているあのものと同じと考えてよい。
ちなみに“排骨_大肉”で検索をかけると中国語のサイトがずらーっと並んで「アワワワ…」となる。
ラーメンの世界では「肉の万世」(「万世麺店」)で有名だが、ここでは万世タイプではなく「弘華飯店」タイプ、すなわちカレー風味のものに限定して話を進める。
かつて僕の故郷にこれを出す中華屋さんがあり、その店では“骨付(ほねつき)肩肉”と呼んでいた。骨付炒飯と骨付ラーメンのほか、メニューには載っていないがホウレンソウと炒めて甘酢あんかけにしたものをご飯にかける料理があって、われわれ常連はそれを“ホウレンソウ白ご飯”と呼んで骨付シリーズの最上位に位置づけていた。

さて、いま現在の武蔵村山に戻るのだが、目の前でお店のおかあさんが食べ始めたまかないが、まさにそのホウレンソウ白ご飯だ。客の食べているのよりランクの高いものを目の前で食べちゃダメだろう(笑)。
この店では大肉会飯(チャップめし)となる。
おかあさんはさっき僕の大肉麺のオーダーを通すときに「チャップめし」とも言っていたから、ついでにまかないも頼んであったのだろう。

田舎の僕の好きな料理は東京のわが家の定番となった。ただし、前日から仕込まなければならないなど手間がかかるから、妻はそう頻繁には作ってくれない。
ちょっと特別なごちそうという感じで、これが出ると子どもたちも大喜びする。

カレー風味×甘酢あんかけの魔力に最初に気づいたのは誰なのだろう?
興味深いサイトを発見した。
ここでは五香粉やカレー粉を使ったものに限定しているわけではないが、僕にとってのキーワード“横浜中華街”に鋭く切り込み、展開している。
「弘華飯店」も“横浜中華街の味”をうたっていて、それを見たときにピンとくるものがあった。
この記事の“日本で初めて排骨麺を出した店”というところにすべてはつながる気がするのだが…。

そんなことはどうでもいいとばかりに、おかあさんはマイペース。僕のあとに若いお父さんと2人で来店した2歳の女の子の世話を焼いたり、店に入りそうになったスズメを追っ払ったり。まかないがなかなかはかどらない。
僕もおいしければそれでいいというたちなので、これ以上は突っ込まず。
郷里の中華料理店「老正興」が閉店したいまとなっては、この店を静かに見守るだけ。

[DATA]
弘華飯店
東京都武蔵村山市学園3-58-2
[Today's recommendation]

サイハイラン、オオバノトンボソウ(狭山丘陵)

https://youtu.be/8tKfYwc4zx
お店に入るなりおかあさんに「そこがいいんじゃない?」と席を指示され、「いまメニュー持ってくるね」と言うから壁を指さした。
「チャップ… チャーハン? 麺?」
「麺」と僕。
去年初めて食べたラーメン類でベスト3に入るのがここ「弘華飯店」の大肉麺(チャップそば)。
そしてこちらの大肉炒飯(チャップチャーハン)は、去年初めて食べた炒飯類でベスト3に入る。

大肉(チャップ)とは豚の肩ロースに味付けをして油で揚げたもの。一般的に排骨(パイコー;パーコー)と呼ばれているあのものと同じと考えてよい。
ちなみに“排骨_大肉”で検索をかけると中国語のサイトがずらーっと並んで「アワワワ…」となる。
ラーメンの世界では「肉の万世」(「万世麺店」)で有名だが、ここでは万世タイプではなく「弘華飯店」タイプ、すなわちカレー風味のものに限定して話を進める。
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かつて僕の故郷にこれを出す中華屋さんがあり、その店では“骨付(ほねつき)肩肉”と呼んでいた。骨付炒飯と骨付ラーメンのほか、メニューには載っていないがホウレンソウと炒めて甘酢あんかけにしたものをご飯にかける料理があって、われわれ常連はそれを“ホウレンソウ白ご飯”と呼んで骨付シリーズの最上位に位置づけていた。

さて、いま現在の武蔵村山に戻るのだが、目の前でお店のおかあさんが食べ始めたまかないが、まさにそのホウレンソウ白ご飯だ。客の食べているのよりランクの高いものを目の前で食べちゃダメだろう(笑)。
この店では大肉会飯(チャップめし)となる。
おかあさんはさっき僕の大肉麺のオーダーを通すときに「チャップめし」とも言っていたから、ついでにまかないも頼んであったのだろう。

田舎の僕の好きな料理は東京のわが家の定番となった。ただし、前日から仕込まなければならないなど手間がかかるから、妻はそう頻繁には作ってくれない。
ちょっと特別なごちそうという感じで、これが出ると子どもたちも大喜びする。

カレー風味×甘酢あんかけの魔力に最初に気づいたのは誰なのだろう?
興味深いサイトを発見した。
ここでは五香粉やカレー粉を使ったものに限定しているわけではないが、僕にとってのキーワード“横浜中華街”に鋭く切り込み、展開している。
「弘華飯店」も“横浜中華街の味”をうたっていて、それを見たときにピンとくるものがあった。
この記事の“日本で初めて排骨麺を出した店”というところにすべてはつながる気がするのだが…。

そんなことはどうでもいいとばかりに、おかあさんはマイペース。僕のあとに若いお父さんと2人で来店した2歳の女の子の世話を焼いたり、店に入りそうになったスズメを追っ払ったり。まかないがなかなかはかどらない。
僕もおいしければそれでいいというたちなので、これ以上は突っ込まず。
郷里の中華料理店「老正興」が閉店したいまとなっては、この店を静かに見守るだけ。

[DATA]
弘華飯店
東京都武蔵村山市学園3-58-2
[Today's recommendation]

![]() | ![]() |

https://youtu.be/8tKfYwc4zx